ブックタイトル広報 稲敷 2015年8月号 No.125

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概要

広報 稲敷 2015年8月号 No.125

広報稲敷平成27年8月号26古渡興禅寺の地蔵堂の正面に、一枚の額が奉納されています。欅板一枚で横幅二メートル、高さ五〇センチ。今では文字もほとんど風化し、消えて読むことは出来ません。三〇年位前は何とか読むことが出来ましたが、内容まではわかりませんでした。昭和二一年、当時の古渡青年学校長の宮本甲子郎先生が、青年たちの短歌作品を古渡村百人一首「忘れな草」と題し額として、奉納したと聞いております。前年の昭和二〇年、太平洋戦争が終結、今年で終戦七〇年目を迎えます。終戦直後、教育方針も百八十度転換し、それまで受けて来た人生の指針を失い、多くの若者が不安を抱えながら、新しい心の支えを求めていた時代です。そんな複雑な環境の中にあって、素直な目で現実を見、平和を願い、これから進むべき道を三みそひともじ十一文字に託し謳うたいあげてあります。この「忘れな草」は、昭和一九年~二一年、古渡青年学校へ入学し、同二二年に卒業した、一八歳前後の若者六八人が詠よんだ歌です。地域の青年たちがよりどころとして学んだ青年学校、そこに生まれた青春の心の歌。文字の薄れた額を見るたび終戦直後の青年たちの思いを何とか甦らせたいと思い記録を探していたところ、古いネガを借りることが出来ました。状態は不鮮明で、文字は小さく判読には困難を極めました。今なお健在な方を訪ね話を伺い、知人の力を借りてやっと全六八人分を判読することが出来ました。「忘れな草」前書と、抜粋二〇首を紹介いたします。なお歴史民俗資料館館報九号に全六八首を掲載しております。古渡村百人一首古渡青年学校生徒作品集忘れな草風光明媚な霞ヶ浦の、昔変わらぬ波の音と渚の松に吹く風を、やさしい母の子守歌に聞き、すなほにすこやかに育まれて来た、若人たちの皆さんの短歌を、此処に集めて「忘れな草」と名づくいずれも敬けいけん虔な生活体験から生まれた、土の香ゆたかな立派な歌であることを、私はこころより喜ぶものである生徒たち皆さんの永久の幸福を祈りつつ寸すんかん感を書く昭和二十一年きさらぎ古渡青年学校長宮本甲子郎大おおにし西風を筑波に向けて今朝も亦力一杯櫓を漕ぎにけり大久保利光故里は今日も明けたりたましひを清め働くわれは楽しも井川高司春はるびより日和卒業式の日は来る別れ悲しきこの日なるかな永長利通清すがふじ富士のうす青く見ゆここにして梅の香のほのかにかほる古山恒雄春なれば枯野の姿消しふせて若葉の匂ふ野となれるかな藤代昭白雲の漂う空の彼方より小鳥の歌ふ春は来にけり柳町三造新日本背負うて立つは我らなり力のかぎり働きぬかん小松賢次興禅寺のこの櫻花一斉に咲かしてみたや我が校庭に木村美保身のために今日も朝からこの畑に鍬打ち振るふ我は楽しも諸岡允二友の身を思ひて今日もなぜかしら心悲しく打過ぎにけり蕪内義作朝早く墓地の掃除を終へにけり逝いきにし兄の命日今日は諸岡トメ八幡の祭り太鼓の音しげく雨のさなかを響き渡れり林満江新しき墓標に捧ぐ紅椿若くて逝きし兄を偲びて来栖すみえ待ちわびし今日は楽しき登校日卒業近き私達よ諸岡芳子再建の道は開けりもろともに我等乙女は雄々しくたえん織本菊子古くよりかかりし橋も世を捨ててコンクリートに姿を変へし野口喜美子しみじみと幼き頃の思ひ出に今亡き父の面影偲ぶ矢崎佐和子父上と蔵の中にて雨の日を供出米の俵装をしつ本橋照子春浅く花とてもなく仏壇に詫びて手向ける猫柳かな富田菊江しらじらと山際しらみ紫の煙たなびく春のあけぼの福田君代●歴史民俗資料館?0299?79?3211ふるさと探訪第107号一枚の掲額●市郷土資料調査委員・鴻野伸夫―終戦直後若者たちの残した歌―※お詫びふるさと探訪105号「水郷稲敷の渡し場」の中で、右下地図の5と12の位置が逆になっていました。訂正してお詫びいたします。興禅寺地蔵堂忘れな草の額