ブックタイトル魅力発見! てくてく龍ケ崎 Vol.3

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魅力発見! てくてく龍ケ崎 Vol.3

tekuteku Ryugasakiてくてく龍ケ崎平成27年1月Vol.3|4|関東・東北地方で最も古い多宝塔天台宗寺院・来迎院(らいごういん)。建立時は不明だが、関東・東北地方では最も古い「多宝塔」で知られ、多くの見物客が訪れる。1556年に江戸崎城主・土岐治英(とき・はるひで)が天下泰平、五穀豊穣、悪疫退散を願って修築。土岐氏の出身・美濃国(岐阜県)地方の建築様式を随所に施し国指定重要文化財に指定されている。毎年12月23日に火防大祭が行われる。[らいごういん]馴馬町2362 ?0297-62-3474A来迎院※地ア図ルとフ連ァ動ベしットてはま2す・。3ページのしてみませんか。ゆっくりと散策思いを馳せながら、先人の生活に歴史に触れられるエリア。多くの神社仏閣が現存し本町商店街とその周辺は、栄えた龍ケ崎市のかつて城下町として龍ケ崎本町商店街歴史散歩古くから商店街を見守るお堂[こめやくしどう]B米薬師堂商店街の古き面影をたどりながら歴史にふれてみよう!17世紀初頭、龍ケ崎の街を東西に守るため、砂町の医王院と共に建てられた。米町の薬師堂は通称・瑠璃堂とも呼ばれている。等身大の延命地蔵は1725年建立のもの。米三粒を麗水で含み、秘文を唱えると難病が改善したという伝説もある。龍ケ崎の鎮守さま[やさかじんじゃ]神社の由緒によれば、文治2年(1186)、源頼朝の家臣下河辺政義が貝原塚の領民を引き連れて、沼沢の地だった龍ケ崎の開拓にあたり、根町に貝原塚の八坂神社を分祀、後に龍ケ崎城主土岐胤倫が現在の上町に移したという。祭神は建速須佐之男命で、治水・開発の神、悪事災難を取り除き疫病や害虫を払う神といわれ「天王様」と呼ばれて親しまれてきた。その祇園祭の神事「撞舞(つくまい)」は多くの見物客でにぎわう。県無形民俗文化財。近くに杉野翠兄の筑波庵跡がある。上町4279 ?0297-62-6284E八坂神社龍ケ崎の新たな名所として活躍[いしくら]大谷石の2階建ての石蔵は、1933年築。元々は砂糖の卸問屋として使われていたが、現在は市民有志による「石蔵リバースプロジェクト」として定期的に清掃と資料整理を行うほか、商店街のまちなみ探検ツアーやコンサートなどイベントを不定期に開催している。新町4099 ?0297-85-4610(9:30~17:00)D石蔵火災から守る領民を[あたごじんじゃ]C愛宕神社寛永18年(1641)、仙台藩二代藩主伊達忠宗(政宗の子)の創建。防火の神・愛宕神を祀る。町場を火災から守るためといわれている。忠宗は何度か龍ケ崎を訪れ、父正宗に鷹狩りの獲物雁一羽を送ったり、病気療養に滞在したりし、その際後側室慶雲院(六代藩主吉村の祖母)となる山戸土佐の娘たけと出会っている。社殿は宝永5年(1708)に再建、本殿の鳥の彫刻は名匠左甚五郎作の鷹との伝えがあり、小鳥が恐れると語り伝えられている。例祭は1月と10月の24日、神前に置いてある笹を貰い屋根に差す習わしが昔からある。最終日夕刻の神事八坂神社祗園祭[つくまい]400年以上の歴史を誇る撞舞(つくまい)は、毎年7月に開催される八坂神社祗園祭最終日の夕刻に行われる五穀豊穣・疫病予防・雨乞いを祈願する神事。起源には諸説があるが、奈良時代中国から伝えられた伎楽(曲芸)の一種で神事と結びついたもの。蜘蛛舞もその一種。唐草模様の衣装と雨蛙の面を被った「舞男」が、囃子に合わせて曲芸を見せながら14mの柱に昇り、円座の上で東西南北に矢を射る妙技を披露する。平成18年から龍ケ崎市撞舞保存会が行事の継承につとめている。国選択無形民俗文化財、茨城県指定無形民俗文化財。H撞舞根町の般若院は天台宗の寺で、金剛山観仏寺といい、本尊は聖観世音菩薩。天元元年(978)に道珍法師により貝原塚町に創建され、大永4年(1524)に現在地に移り、土岐氏の祈願所になった。仙台領になっては伊達家の位牌所として寺領三石を与えられた。徳川家光の時、中興五世の朗月晃順法印は後水尾天皇の勅命で法談を行う学僧でもあり、雨乞祈願で江戸の大旱魃を救い、貯水池をつくり勧農につとめ、今も朗月池、光順田にその名をとどめている。上町の八坂神社もかつては般若院のところにあり、祇園祭には前に御仮屋が建ち、撞舞もすぐ近くで行われている。本堂裏のシダレザクラは樹齢450年をこえ、県指定天然記念物。根町3341 ?0297-62-2270[はんにゃいん]雨乞祈願と子ども達の成長を見守る観音様G般若院世の中の平穏を祈願死者の供養と[だいとうじ]横町4189 ?0297-62-0762横町の曹洞宗の寺。山号は龍峰山。天正13年(1585)、もと根町台にあった臨済宗大運寺を現在地に移し、大聖院、天真院をあわせ寺号を大統寺に改め、龍ケ崎城主・土岐胤倫の叔父天岩梵宿和尚を招き開山とした。本尊は釈迦如来。毎年盆の宅鉢には付近の曹洞宗の住職が集まり、死者の供養と世の中の平穏を祈願する。境内には土岐胤倫の墓や俳人杉野翠兄の墓もある。再建時に記念に植えた竹柏(なぎ)は市指定天然記念物になっている。F大統寺tekuteku Ryugasaki Vol.3病気回復の薬師如来火防(ひぶせ)や[いおういん]K医王院砂町5147 ?0297-62-3041砂薬師といわれる曹洞宗の寺、山号は玉光山。本尊は薬師如来で、米町薬師とともに仙台藩龍ケ崎の東西の固めとして置かれたと言われている。火防(ひぶせ)や病気回復を願う人が訪れる。本堂は江戸初期の建築で、明治16年の砂町や上町、下町が全焼した龍ケ崎大火の焼失を免れた。江戸末期の改修の際、寄進された高欄の宝珠に、後の歌舞伎役者九代目市川団十郎の印刻があることから信者は遠く江戸まで及び、境内の翠兄建立の師、雪中庵蓼太の句碑からは俳諧を中心とした文芸が盛んであった様子もうかがえる。様として親しまれる安産や子育ての観音[りゅうがさきかんのん(りゅうせんじ)]下町2877-1 ?0297-62-2373寺伝に本尊聖観世音菩薩は弘法大師作との伝えがあり、「安産観音」として有名。龍ケ崎城主・土岐胤倫の室お福の方がこの本尊のお陰で無事に男子を出産できたという。現在、安産と子育て、出生、開運、除災の「龍ケ崎観音」として親しまれている。境内には多数の水子地蔵が奉納され、成人の日・正月17日の初観音、7月10日のほおずき市には多くの人で賑わう。天台宗東福山水天院J龍ケ崎観音(龍泉寺)歴史を伝える建造物龍ケ崎の経済発展の[きゅうおのせてい]上町4252 ?0297-64-1111(市生涯学習課)幕末から大正、昭和にかけて建てられたこの地方の典型的な商家建築(大正10年の店舗建築の棟札がある)。干鰯商人として財をなした小野瀬忠兵衛家の4代目が改築した店舗。町家棟を中心に住居棟をL字型に配置。外観は欅材を多めに使い、壁を押縁下見板張りや漆塗りにする伝統的な和風住宅で、町家棟の室内の天井は高く、約45cmの大黒柱をそなえる。住居棟に床の間付きの座敷が3室あり、その質の高い住宅からは豪商の様子がしのばれる。国指定登録文化財。I旧小野瀬邸