ブックタイトル広報 稲敷 2015年7月号 No.124

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概要

広報 稲敷 2015年7月号 No.124

広報稲敷平成27年7月号26※廻国巡拝:西国、秩父、坂東の三三観音札所、四国八八ヶ所の大師札所、出羽三山等を巡拝した。※その他:道祖神、一九夜、二三夜、二六夜光明真言、先祖供養等の文字塔を含む。参考資料江戸崎の石仏・石塔三冊(江戸崎町史編纂委員会編)東村金石文集二冊(東村史編纂委員会編)●歴史民俗資料館?0299?79?3211道標は、道行く旅人の行く先を指し示すために、Y字路や十字路等の路傍に建てられたものです。現在でも交通標識の一つとして、姿すがた形かたちは変わっても、その機能は継承されています。しかし、カーナビゲーションやスマートフォンの出現普及により、その存在価値も急速に失われようとしているのが現状です。初めての旅で、目的地まで迷わずに行けたら、それは大変うれしい事なので、正確な道案内をしてくれる便利な道具の出現を勿論否定しているわけではありません。ただ、地図を片手に、目め印じるしを次々と見つけながら旅をするのも風情があって良かったのにと、ふと思ってしまいます。さて、江戸時代に造立された石製の道しるべが、稲敷市内に、現在六十余基残されています。最も古いのは、阿波の安穏寺本堂裏にあります。尖せん頭とう型(将棋の駒の様な形)で、高さ六十七cmの大きさです。道路の整備の都合で、元の場所から移動されて現在地に置かれたそうです。碑面には、享保十年(一七二五)十一月の造立で、正面に「阿波大杉殿道、右ハ安ばみち、左ハ小野みち」、左側面に「東ハ神さき佐原みち」、右側面に「西ハ江戸崎土浦、江戸崎町新宿鈴木氏、上総屋」と刻まれています。この道標は、航海安全や疫病退散を願う東日本地域の多くの人々の信仰を集めた阿波大杉神社に参詣する旅人の道案内となったものと考えられます。しかし、それだけではなく、小野は、天長二年(八二五)逢善道人の創建を伝え、淳和天皇の三女で承和元年(八三四)に没した貞子内親王の眼病平癒祈願の伝承を宿す逢善寺があります。神崎は、徳川光圀の命名と伝える「ナンジャモンジャの木」(大楠)で有名な神崎神社があります。佐原は、東国三社巡りの香取神宮参拝の玄関口として繁栄し、地誌編纂の清宮秀堅や地図測量の伊能忠敬等多くの学者の存在でも知られています。江戸崎は、土岐原秀成から治綱までの七代及び芦名盛重による稲敷地方支配の本拠地となった江戸崎城や、天台宗の不動院、浄土宗の大念寺、曹洞宗の管天寺、臨済宗の瑞祥院、時宗の顕声寺、普化宗の大悲寺等々各宗派の寺院がありました。土浦は、現在亀城公園となっている土浦城があり、土屋氏九万五千石の城下町であり、銚子・野田と並ぶ醤油の醸造地としても知られています。以上のように、周辺の主な町場の方角を示しています。さらに造立者が、江戸崎新宿の住人である鈴木氏と、上総屋(阿波の商家の可能性も有)であったことも伝えています。このように一点の石造物が多くのことを物語ってくれます。さらに調査研究の進展によっては、石材の入手経路や石工の存在、あるいは古道の検出等々、様々な地域の歴史を秘めている貴重な史料なのです。参考までに、調査により判明した道標を集計してみると次のようになりました。さらに明治以降造立のものを含めると、稲敷市内に九十余基の道標が確認されました。ふるさと探訪第106回稲敷の道標●市郷土資料調査委員・平田満男道標単独地蔵観音廻国巡拝その他計江戸崎地区2 6 14 5 7 34新利根地区1 1 5 1 2 10桜川地区1 4 1 4 1 11東地区3 1 2 0 3 9計7 12 22 10 13 64稲敷最古の道標(阿波)江戸時代の道標調査集計表