ブックタイトル広報 常陸大宮 2015年6月号 No.129

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概要

広報 常陸大宮 2015年6月号 No.129

?????????????? ?????鷲子二題とりのこさんしょうじんじゃ今年7月18、19日の両日※、鷲子山上神社の祇園祭が5年ぶりに開催されます。鷲子地区は、鷲子山上神にじゅうよはいしょうがんじぜんとくじ社や二十四輩寺院である照願寺と善徳寺など、有名な社寺も多く存在します。また、江戸時代に紙問屋としうすいともえもんて名を馳せた豪商薄井友衛門ゆかりの地でもありまばやしだしす。軽快な鷲子囃子を聞きながら、屋台や山車の巡行を見物しつつ、緑陰を拾いながらの鷲子散策も乙なもの。今回は、祭り見物や散策の折に、目を留めていただきたい話題を2つご紹介しましょう。◆花輪組の屋台は大田原出身涯この祭りの花形は、何といっても6台もの山車と屋台。提灯と手作りの花の釣枝で華やかに飾り、数kmのひ道のりを力を合わせて曳き進みます。これらの山車や屋台には、いずれも見事な彫刻が施されていますが、中で腰板も、市指定有形民俗文化財の花輪組の屋台は、息を呑むばかりの彫刻屋台で、さすがは有名な鷲子彫りのお膝元!と、納得。しかしこ▲花輪組の屋台の屋台、当初から鷲子のものではなかったのです。彫り物を収める長持の一つに、嘉永元年(1848)の制作年と共に9人の世話人の名が書かれています。これらの人名から、もともとは下野国大田原の寺町で所有していた屋台であることが指摘されています。明治になってから鷲子の宿組に売却され、後に花輪組のものとなったとのこと。制作時の彫刻は、日光を擁する下野の職人によるのでしょうが、そこは鷲子、構造上の必要からか、明治17年(1884)前後に、当時の鷲子彫りの名人小林平衛門と堀江弥平の手で腰板部分を追加。花輪組の屋台には、鷲子彫りの技も遺憾なく発揮されているのです。彫物を入れた長持の蓋裏墨書葛(写真/薄井登氏)執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執執滑鷲子宿◆鷲子宿で木端葺きの建物を捜せ!鷲子山上神社入口から国道を2.5kmほど東に進むと、右手が旧道沿いの鷲子宿入口となります。古くは和紙、のちに葉タバコや薪炭などの集積地としてにぎわった鷲子宿。宿並に沿って背後を流れる緒川の氾濫や、昭和10年の大火によって姿を変えつつも、趣きある風情が残っています。ここではぜひ、古い土蔵の屋ひさし根庇の裏側を見上げてみてください。巾も長さも不揃いの板が、横木に釘で打ちつけられています。「一体、これの何が珍しいの?」そう思いますよね。実はこれ、栗材を割った木片、木端(コバ木羽とも)で屋根を葺いているのです。今では、上にトタンを掛けていますが、コバ屋根と呼ばれる、板葺き屋根のひとつです。県内の古文書を数多く▲木端葺き屋根を見上げる解読されている野上平先生によると、先生がこれまで目にした県内の史料に、木端やそれで屋根を葺く職人のことが書かれているのは美和地域の古文書のみとのこと。古老によると、美和地域の山林には、真っ直ぐに伸びた栗の大木が数多くあったといい、コバヤの屋号を持つ旧家も存在するそうですが、関連する技術はもはや伝わっていないようです。かつての屋根は茅葺が主で、材料はススキ等の植物。栗の木端で葺いた屋根は、きわめて貴重な遺産なのです。※鷲子祇園祭の今年の当番組は鳥居土組。18日は午後4時頃から各組内での屋台や山車の試し曳き等を実施。神輿のご出社から始まる本祭りは19日早朝から深夜まで。※取材にあたり多くの鷲子地区の方々にご協力いただきました。歴史民俗資料館大宮館緯52-1450広報常陸大宮17平成27年6月号