ブックタイトル広報とうかい お知らせ版 2015年6月25日号 No.279

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広報とうかい お知らせ版 2015年6月25日号 No.279

広報とうかい6東海ぶらら倶楽部presents東海村発足60周年記念村立図書館開館30周年記念写真展「東海村の今いまむかし昔」東海村の今と昔の姿を写した写真展の開催(期日8月1日(土)~3 0日(日)、場所村立図書館)に伴い、その懐かしい写真をち・ょっとだけご・・・・・紹介していきます!▼村松大神宮神幸競馬祭神輿渡御行列▼・25平成第27年267月9号25日号「ヤンサマチ」といわれ、毎年旧暦の3月7日、那みこし珂台地の48村(33村とも)の神輿が、一斉に那珂湊の清浄石や酒列磯前神社に神幸する壮大な祭りで、「本朝三競馬」と称される競馬も行われた。幕末水戸藩が海防上からこの祭りを奨励した勇壮な祭りえいきゅういざいれであったが、昭和4年を最後に「永久居祭礼」となり、とり行われていない。すでに84年を経過し、この祭りを体験した人も見ないが、ぜひとも後世に伝え継ぎたい祭りである。〒▼3発1行9東‐海1村1(9村2長公那室珂広郡報東広海聴村課東)海三丁目7番1号のは、主に海岸や久慈川流域東海村で津波被害を受けた現象が観察されました。など、津波による多種多様な度の津波の跡が残されていた上流の新川では1メートル程4河10分口のか3ら約5キ17メートルであった。ロメートル・時50分で、最大の津波は果、榊橋への津波の到来は19時15位観測所の記録を解析した結メートル上流の久慈川榊橋水の津波が到来した。3海岸より約6・2キロした20分ごろから約2時間。2豊岡付近では、4・7~5メートルでは、最大の津波は5・4メートルで、半の間に7回程度到来15時1東海第二原子力発電所の監視カメラの記録周辺での調査結果によるものです。他にもトル程度と推定されます。これは、新川河口海村に到来した最大の津波は、高さが7メー生した津波は、東海村にも到来しました。東な津波災害をもたらしました。この地震で発で発生平成した23年巨3大月地震11日は、14時東日46分本にの宮各城地県に東大方き沖東日本大震災の津波からふるさと歴訪~自然を探して~?029(282)1711http://www.vill.tokai.ibaraki.jp水道管にかかった津波漂着物の様子(新「川)千ち々ぢ始めてみてはいかがでしょうか。び起こし、新たな災害への備えをます。薄れつつある防災意識を呼けるさまざまな現象も発生してい思議ではない〟と述べ、それを裏付や火山噴火は、いつ発生しても不昨今、多くの研究者が〝巨大地震新たな発想も生まれました。緊急調査の中で〝原因は津波〟とのし、東日本大震災の直後に行った乱らん風ぷう伝説」があります。しか集落が砂に埋もれ消滅した〟という参照)。東海村には〝強風により一夜にしてす(教育委員会発行「東海村の東日本大震災」の地形や地質によって異なるということでめ東海村で地震により発生する現象は、場所たためと判断されました。つまり、津波を含する、東海村特有の自然環境が複雑に作用しと、山地を除いた地形が〝箱庭〟のように発達い面積にもかかわらず海岸・河川・低地・丘陵な違いも認められました。その原因は、狭の高さ、広がり、時間、回数などにさまざまく調査すると、場所によって、到来した津波と新川流域の低地でした。また、現地を詳し菊池芳文東海村自然調査会調査員豊受皇大神宮