ブックタイトル広報なか 2015年6月号 No.125
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広報なか 2015年6月号 No.125
広報なか6月号17問い合わせ?297-0080菅谷村の地菅谷村の地勢? ?? ??この天保検地の結果を示す「菅谷村検地帳」は現在のところまだ出ていませんので、当時の地質の等級(上田・中田・下田・下々田の4等級)や人口などのことはわかりませんが、江戸時代初め寛永年(1635)の石高は12菅谷村が1017石余(外に380石弱の新田)、福田村が639石余(外に1石6斗余の新田)でした。現在の市域では戸村が3150石弱で最も多く、飯田村の1200石余が次いでいました。文化4年(1807)に作成された『水府志料』には戸数217軒とあります。また大正年(1922)の菅谷村(菅谷・福田)の人口は344111人、戸数は705軒でした。「菅谷村全図」から見ると、村の北西部から?鷺?内?にかけては広く「1御立林」さぎうち(藩有林)があります。北部の杉村隣接地には「2杉原広し」との記載があり、村内全体にも林の?塊?が分布しています。かたまり? ?????菅谷地域は平地林が多かっただけに湧水も豊かであった上、江戸時代に入ってからの新田開発に伴って造成された溜池も多いことが特色の一つです。3両宮(鹿島社と八幡社)の溜池(通称「宮の池」)が最大で、流域には東方の4竹ノ内溜池や正覚寺池と合流する水系が開発された水田が広がっています(両宮水系)。福田村に隣接した5溜池(一ノ関)から南方に広がる水田には大井川(源流は戸崎洞前溜池、後台橋から下流は早戸川となる)が中央や周辺部を?縫?っぬています。6江向溜池・7高内溜池両水系からの水田も広がっています。最近の「高野館跡」(中宿東)や「軍司館跡」(仲の房東)などの発掘調査結果から見ると、菅谷村の水位はかなり高かったと思われます。