ブックタイトル市報たかはぎ 2015年6月号 No.665
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市報たかはぎ 2015年6月号 No.665
派遣研修の報告財政課:主任阿部雅史派遣先茨城県市町村課(平成26年度)市町村課は、主に行政運営・税・財政面で県内市町村を支援する部署で、私は財政グループの一員として市町村財政の各種調査や第三セクター等の関係業務に携わりました。行政の指導的立場として不慣れな中で県職員の方々からのご指導のもと、また、財政の経験が豊富な市町村の方々と接し、地方財政制度の理解が深まるとともに、新たな人脈が生まれ私の大きな財産となりました。さらに派遣元の高萩市を外部から見た中での気づきもあり、特に財政状況の厳しさを改めて痛感させられました。この4月からは財政課職員として、この経験を余すところなく活かしていきたいです。高齢福祉課:主幹廣木孝彦派遣先株式会社電通(平成26年度)(株)電通は広告代理店であり、コミュニケーションの会社とも言われています。そこで一年間様々な経験をさせてもらい、人に何を伝えるか、どう伝わるかを徹底的に考えさせられました。市役所では市民の方々に様々な情報を発信していますが、住民目線ではなく行政目線の発信になりがちで、うまく伝わらないことがあります。今回の経験を活かし、配属された高齢福祉課において、市内の高齢の方々がよりよい生活を送れるような施策を考え発信していきたいと考えています。私はまだ高齢の方々の年には追いついていませんので、孫世代の目線で祖父祖母に高萩で楽しく生活できるような環境を考え、伝えていきたいです。興に大きく尽力をされました。策特別委員会の委員長となり、復旧復ど大きな功績を残されました。れました。際は、当市再建のために震災復興等対市民にやさしい」消防力の基礎を築くな組織改革においても大きな功績を残さ年3月の東日本大震災により被災したも積極的に取り組まれ、「災害に強く、案件にも積極的に取り組まれるなど、向上に貢献されました。また、平成23織の確立強化や消防施設の整備拡充に局への配属時には、近隣局との統廃合以って、地方自治の発展と住民福祉の司令長兼十王消防署長とたる豊富な知識と高邁な政治信念を尽力されました。平成なり17年、に消は防、組消防も尽力されました。また、旧勝田郵便達や事故の防止など管理体制の充実に常任委員会でも要職を歴任。広範にわ安心のために、現場の第一線において配達業務に精励すると共に、その誤配きに渡り在職。市議会議長をはじめ、として、住民の信頼獲得や地域の安全郵便事業当選以昭和来、58平年成に高萩23年市ま議で会7議期員とし28年て初の永という昭和永き40に年渡かりら、平地成域を19年守まるで消の防士来、在42年間昭和職の39根年44幹年にで有郵あ余政るの事郵永務便きに物に職の渡を集り奉荷在じ・職て。以旭日小綬章-地方自治功労-ふにう舟よしき生佳紀さん(上手綱74歳)元高萩市議会議員瑞宝双光章-消防功労-もぎ茂木たかお孝夫さん(大和町68歳)元高萩市・日立市事務組合職員瑞宝単光章-郵政業務功労-きくちしげお菊地惠雄さん(中戸川66歳)元日本郵政公社職員に敬意平成を表27年し「、春心のか叙ら勲お」祝のい受申章し者上がげ発ま表すさ。れ、高萩市では各界でご尽力された3名が受章されました。ご功績『平成27年春の叙勲』3名が受章援していきたいです」かったでいます。す。27年前に息子がこれからも野球を通して子どもたちの成長を応”野球をしたい“と言ってくれてよ「団長をしていなければ、家で過ごす日々が多かったと思羽さん。プレーしている姿を見ると応援に力が入ります」と笑顔の黒校でも続けてくれるとやっぱり嬉しいです。試合で頼もしく「指導した子どもたちが、野球を好きになり、中学校・高が外で遊ぶきっかけになれば」と微笑みます。より体を動かす機会が減ったように感じます。少年団の練習に付くスポーツです。近頃は、室内で遊ぶ子どもが増え、昔「野球は、基礎体力づくりはもちろんのこと、考える力も身柔軟体操・ランニング・腹筋を約1時間行い練習がスタート。練習は、土日の午前中がほとんど。子どもたちと一緒に、いたら団長でした。笑」していますが、私は未だ少年野球から離れられません。気づさんも練習に参加するようになりました。「息子はもう成人チの数が少なく、大人の目が少しでも行き届くようにと黒羽野球を始めたこと。当時は、子どもの人数に対して監督・コーん。少年野球に関わるきっかけは、小学生にのは、松原スポーツ少年団の団長で指導歴なる27年おの子黒さ羽ん勝が義さち」と身振り手振りで子どもたちに野球の基礎を教えている「脚の幅はこのくらい、腕の位置はここ、手首の向きはこっ?子どもたちの成長を応援し続けて“くろはかつよし黒羽勝義さん(島名・73歳)?????????????4