ブックタイトル広報つちうら 2015年4月上旬号 No.1144

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広報つちうら 2015年4月上旬号 No.1144

19広報つちうら2015.4.1かつて土浦は醤しょうゆ油の醸じょうぞう造が盛んでした。江戸時代、国学者として大きな足跡を残した色いろかわみなか川三中の生まれた家も、川口(現在の中央一丁目)に醤油蔵(工場)を構えていました。三中は、田宿(大手町)で営んでいた薬やくしゅや種屋の経営を立て直し、さらに醤油蔵でもさまざまな改革を行い、経営を安定させます。土浦で最初に醤油造りを始めた国分勘兵衛家(屋号大国屋)に次ぐ生産高を誇るまでになりました。笠間稲荷神社(笠間市)には、色川家の醤油蔵が嘉永3(1850)年に奉納した絵馬が今も拝はいでん殿に掲げられています。博物館で開催中の特別展「次の世を読みとく―色川三中と幕末の常総」では、笠間稲荷神社の格別のご協力により、拝殿からこの絵馬を降ろしていただき、現在展示をしています。縦109センチ、横170センチという立派な絵馬です。長年の掲けいがく額で彩色こそ落ちていますが、色川家の醤油蔵から樽を出荷する様子が描かれています(写真1)。船は、霞ヶ122醤油醸造絵馬浦・利根川水運で活躍した高瀬船で、「稲荷丸」という船名まで書かれています。樽には、色川醤油のしるしである「三」の文字が見えます。樽を運ぶ人の後ろには、店が見えます。中には熱心に帳簿をつける主人や使用人の姿がいきいきと描かれています(写真2)。軒先には「無用之者入へ(べ)からす(ず)」と書かれ、左側には大きな釜が見えます。防火用水かもしれません。絵馬の右下には、群山という絵師の名が見えます。群山は地方を巡る遊歴の絵師だったようで、絵馬が作られた嘉永3年の7月に土浦に入り、8月から11月末まで色川家に滞在していました。特別展で紹介する色川三中の肖像も、群山の手になるものです。絵馬の上には「奉納」の二文字、左上に「嘉永三庚戌年十一月廿五日」、下に奉納者名として「土浦色川蔵」と書かれ、蔵で醸造を担った杜とうじ氏の名も見えます(写真3)。書を書いたのは、三中の弟美年です。美みとし年は11月24日の日記に「絵馬に文字を認したためることを頼まれたので、川口に参る」と書いています。書の腕前を買っていた兄が弟に頼んだのでしょう。江戸時代の土浦で盛んだった醤油造りの様子をこれほどいきいきと伝える絵画資料は他にありません。ふだんは高い位置に掲げられている絵馬をじっくりとみるまたとないチャンスです。ぜひ、博物館でこの絵馬をご覧ください。■特別展「次の世を読みとく―色川三中と幕末の常総」は5月6日(水)まで。市立博物館(?824・2928)▲写真1醤油醸造絵馬19広報つちうら2015.4.1―土浦の醤油造りを伝える笠間稲荷神社の絵馬―写真2同絵馬中央部分▲写真3同絵馬左下部分問