ブックタイトル合併10周年記念 市勢要覧「石岡日和」

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概要

合併10周年記念 市勢要覧「石岡日和」

佐久の大杉The big cedar tree in Saku県指定天然記念物鹿島神社に御神木として保存されている推定樹齢1,300年の巨木です。鹿島神社は室町時代の創建で、その時代で既に1,000年近い杉と言われていました。常陸国分尼寺跡Hitachi Kokubunni-ji TempleRemains国指定特別史跡天平13年(741)の聖武天皇の勅願によって国ごとに建立されました。史跡公園として整備が進められ、市民の憩いの場として親しまれています。常陸国分寺跡出土の軒丸瓦Eaves-end Tiles Foundin Excavation of Hitachi Kokubun-jiTemple Remains市指定有形文化財仏教の影響を受けているため、軒丸瓦は蓮の花、軒平瓦は唐草文様が付けられています。同じ文様の瓦が、国分尼寺・国府跡からも出土しています。常陸国分寺跡Hitachi Kokubun-ji TempleRemains国指定特別史跡発掘調査の結果、中門・金堂・講堂が一直線に並び、中門から金堂にかけて回廊が巡っていることがわかっています。舟塚山古墳Funatsukayama a Burial Mound国指定史跡およそ5世紀前半に築造されたと推定される全長186mの前方後円墳です。県内最大、東日本でも第2位の大きさを誇ります。球状花崗岩(小判石)Orbicular Granite県指定天然記念物玉子状の堅い粒が不規則に散財する世界的にも珍しい花崗岩です。小判の形に似ていることから、「小判石」とも呼ばれています。産した国が経営する工場跡です。な文化遺産が残されています。農耕用具や武器・武具などを生の政治的支配を物語るさまざまから平安時代初めに造られた、宮が建っています。市内には当時子C遺跡は、奈良時代の終わり重要な位置を占める常陸國總社地下の正倉院と言われた鹿のに隣接して、国衙機構の中でもられました。また、国府跡(石岡小学校)中小学校の裏に国分尼寺が建てきました。現在の国分寺境内に国分寺、府高権力者としてその任を担ってこで常陸国には国府が置かれ、を始祖とする常陸大掾氏は、最に国分寺建立を命じました。そも、桓武天皇の血を引く高望王泰、五穀豊穣を祈るため、諸国を支配していました。その中での茨城郡に属しました。天平年(741)、聖武天皇が国13家安庁官人が政務をつかである国衙には、さど50人りを、超国す在6世紀の中頃に石岡は常陸国いが勃発します。地方行政官庁しました。中世になると、豪族の覇権争最大の古墳、舟塚山古墳が出現古墳時代になると、茨城県内では、旧石器時代の頃からですい。当ま24万時す人ので常。あ陸っ国たのこ人と口がは推定さ22万れかてら石岡市に人々が住み始めたのそこで発見された漆紙文書から、常陸国の中心地として栄えた軌跡をたどる17