ブックタイトル広報 常陸大宮 2015年2月号 No.125
- ページ
- 17/22
このページは 広報 常陸大宮 2015年2月号 No.125 の電子ブックに掲載されている17ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 広報 常陸大宮 2015年2月号 No.125 の電子ブックに掲載されている17ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
広報 常陸大宮 2015年2月号 No.125
?????????? ????執◇門井にあった大井神社執江戸時代末に編まれた『新編常陸国誌』の「門井」執執の記述の中に、鎮守鹿島明神についての文章がありまいど執す。いわく「伝えによれば、この神社はかつて字井戸執うえうつ執の上にあって大井明神と言ったが、後に現在地に遷しおおい執(中略)元禄四年(1691年)に現在名となった」。「大井神社のなぞ」執執また、神社には応永33年(1426年)刻銘のある古いわにぐち◇門井に残る神社にまつわる言い伝え執鰐口(市指定文化財)が残っていて、『御前山郷土誌』に執県道烏山―御前山線沿いに鎮座する、御前山地域門執よると「応永三十三歳丙午十一月十六日大井明神」執井の鎮守「鹿島神社」。境内に杉や銀杏の大木が生い茂と刻まれているそうです。現物を確認したところ、執る、門井の人々の信仰のより所となってきた古い神社執「應永三十三年丙午十一月十七日[](※不執です。ここには、地域の人々の間にこんな言い伝えが明瞭な文字は□で囲執っています)」までは読むことができまし残っています。執たが、肝心の「大井明神」のあたりが磨耗していて読執「この神社は、水戸藩第2代藩主徳川光圀の命に執めません。おおい執氏子の一人に案内してもらったもとの社地「井戸のよって鹿島神社と改められる以前、大井神社と称して執いた。現在、水戸市飯富にある式内社の大井神社がも執上」には、今でもこんこんと清水が湧いていました。執とは鹿島神社であり、門井の神社と交換されたのだ。」執執しきないしゃ執◇「式内社大井神社」執執式内社とは、今から千年以上昔の平安時代半ばにま執えんぎしきじんめいちょうとめられた延喜式の神名帳に登録され、官社となって執執いる由緒ある神社のことです。執なかぐん飯富の大井神社は、式内社「常陸国那賀郡七座」内執執▲「井戸の上」の湧水▲鰐口の小社大井神社に当たるといわれています。祭神は、執執延喜式では鹿島明神となっていますが、正しくは、大執◇飯富の大井神社についての記述和朝廷から国家統一のため東国に派遣されたとされる執では、飯富の神社のことは『新編常陸国誌』にどのたけかしまのみこと執おおぶ建借間命で、名称が似ていることから誤って記載され執ように書かれているでしょう。飯富の古名「大部」のたようです。執項にそれはあります。執延喜式と同時代に成立したわが国最古の漢和辞典で執「村の大井戸の地に泉がわいている。里人はこれをわみょうるいじゅうしょうみたらい執あり百科事典である「和名類聚抄」によると、常陸大井神社の御手洗と言っている。北に十余町離れたと執ほこら国那賀郡(那珂郡と表記するのは後のことです)は22執ころに鹿島明神の祠がある。すなわち大井神社であ執の郷から成っていました。そのなかの大井郷についてる。」執は、大井神社の存在から、水戸市飯富付近説が有力で執うーむ…。とにかく、双方とも「大井」と呼ばれる執にふさわしい湧水があることは共通しています。祭神す。執たけみかづちのみこと執の建借間と、鹿島明神(神名は武甕槌命)が似ているしかし千年も前の郷が、現在のどのあたりの地域に執当たるのかを突き止めることはたいへん困難で、江戸執ことも混乱の要因かもしれません。執時代以来多くの学者が頭を悩ませており、いまだ確定執はしていません。執◇まだまだ歴史はなぞだらけ執『御前山郷土誌』には、「最近まで存した社誌によれ官社である式内社は、毎年の祈年祭に朝廷や常陸国執執ば、元禄年中に棟札33枚が紛失」とも記されています。府(今でいえば国や県)が直接役人を派遣してお供え執また、門井に大井神社があったことは口止めされてい物をする、とても重要な神社。ちなみに、常陸国内の執執る、との噂も聞きました。式内社は全部で28座、そのうちの7座ずつが当時の那執さあ真実はいかに。賀郡と久慈郡に鎮座しています。鹿島を含む他の7つ執執身近な歴史は、まだまだ謎だらけ。現在、資料館(大の郡には1~3座、河内・行方両郡には式内社があり執宮館)では、門井地区からお預かりしている問題の鰐執ません。鎮座地は移動しているようですが、市内では執口を展示しています。たてのもう一社、上小瀬の立野神社が式内社です。執歴史民俗資料館大宮館緯52-1450広報常陸大宮17平成27年2月号