ブックタイトル広報なか 2015年2月号 No.121
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広報なか 2015年2月号 No.121
6歴史民俗資料館だより◆白水線構想と?根本?正?ねもとしょうしかし、地域発展の初志貫徹を期す白石禎美は、横断線を断念してそれに替わる白河-棚倉-水戸を結ぶ縦断線構想を見出した。これにより、伯父白石義郎代議士を通して同じ政友会代議士で茨城県選出の根本正に協力を依頼した。根本正もこの案に賛成協力を約した。この「?白?水?はくすい線」鉄道建議案はさらに福島県選出代議士?佐?々?木?鉄?太?郎?・?柏?原?左?源?太?をささきてつたろうかしわばらさげんた加えて4人の名をもって明治年44(1911)3月の帝国議会に提出され可決された。これにより、ただちに沿線の実地調査が実施された。同年9月日、14鉄道院建設課長?石?丸?重?美?課長は、大いしまるしげみ雨の中を人力車で水戸駅前を出発し大子町へ向かった。根本正は従者に幌を掛けるよう注意したが、石丸は「幌を掛けては視察にならない」と断り、風雨を?厭?わずずぶ濡れになりないとがら視察を貫徹した。根本正はその気迫と献身的情熱に感嘆した。「まるで戦陣で指揮する?乃?木?希?典?大将ののぎまれすけ姿を見る思いがした」とその時の感激を山方宿駅開通記念祝辞で述べている。この調査結果と佐々木鉄太郎代議士の意見を受け、翌年3月の第245回建議案は水戸・白河・郡山間の「水郡線」に変えて提出し可決された。さらに大正2年(1913)3月にも水郡鉄道建議案が提出可決されているが、これはこの年月に開12通する湊線を背景としたもので水戸-勝田-菅谷-瓜連-大宮-山方-白河-郡山の路線であった。菅谷・勝田間が想定されていたことに注目したい。実現していれば、上菅谷の重要性はさらに倍加していたことであろう。◆水戸鉄道の私設鉄道大正3年(1914)3月、帝国議会委員会は予算を可決したが、翌4年月に立憲政友会に代わって立11憲憲政会の?大?隈?重?信?内閣となったこおおくましげのぶとで水郡鉄道建議案は否決建設延期となった。この結果を受けた水戸鉄道は、翌月に上菅谷・常陸大宮間12の鉄道敷設を申請した。これに反対した根本正と宮本逸三は、大正5年(1916)1月地域の発展には国有鉄道が是非とも必要であること、常磐線と湊鉄道の連結および海産物の内陸輸送の根本正(『根本正伝』より)便を図る必要があることなどをもって、近隣町村長らとともに勝田-上菅谷-大宮を結ぶ鉄道敷設の早期実現を茨城県知事?岡?田?宇?之?助?に陳情しおかだうのすけた。しかし、3月に水戸鉄道の申請が許可され、工事は翌6年6月に着工された。地域の発展のために早期の鉄道開通を期する宮本逸三は、この水戸鉄道敷設に協力することを決意し、自分の所有する土地を常陸鴻巣駅敷地として寄付提供し、駅舎建設費の一部も寄付した。鴻巣駅舎は大正7年(1918)6月に建築、同月瓜連駅も続き、月には常陸大宮駅も完成10して水戸鉄道の水戸・常陸大宮間が開通した。常陸鴻巣駅(歴史民俗資料館所蔵)◆?大?郡?鉄道だいぐん水戸鉄道の鉄道敷設工事が着工する3か月前の大正6年(1917)3月、総選挙で立憲政友会が政権に返り咲いた。水郡鉄道建議案は、大正7年(1918)3月再び可決され、水戸・常陸大宮間を除いて常陸大宮・郡山間の「大郡線」として出発することになった。大正年(1922)月の山方宿1110駅開通式での根本正の祝辞には、国力増進には鉄道国有策が有効とした?板?垣?退?助?、軽便鉄道法を制定し全国いたがきたいすけに鉄道敷設を進めた?原?敬?に次いで、はらたかし鉄道敷設実現に尽力した石丸重美鉄道院建設次官への感謝の念が込められた。昭和2年(1927)3月、ついに常陸大子駅が完成した。大子町・袋田村など周辺の村々は一体感を持った。住民に歓喜の声が挙がった。その感謝の念は、やがて昭和5年(1930)月十二所神社境内12への根本正胸像建設となって表れた。根本正は「国のため鉄をもとかす真心になぞならざらむくろがねの道」と詠み喜びを共にした。ただし、この胸像は昭和年(116941)月から始まった戦争中、12金属物資供出の対象となって撤去回収され、現在は台座のみが残っている。しかし、大子町住民の熱意は再度盛り上がり、常陸大子駅開業周40年を記念して昭和年(143968)に駅前に再建された。沿線を走る蒸気機関車胸像除幕式であいさつする根本正(根本喜代寿氏所蔵)再建された胸像