ブックタイトル広報かさま 2015年2月号 vol.107
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広報かさま 2015年2月号 vol.107
当院は在宅療養支援病院として、これまでも訪問診療に取り組んできました。平成26年度からは筑波大学附属病院総合診療科と連携して「かさま地域医療連携ステーション事業」を立ち上げ、総合診療専門医の研修施設となることを目指しています。そのために訪問診療はもちろん、訪問看護、訪問リハビリも積極的に勧めているのですが、思ったように対象患者さんは増えません。在宅療養に移行するには、介護力不足や急変時の不安などが大きな障害になります。悪性腫瘍(がんなど)や認知症などで徐々に食事が摂れなくなると、入院を希望されることが多いのです。がんの場合には患者さんの意思表示が可能で、患者さんの希望を尊重できます。しかし、認知症患者さんの場合には、すでに判断力が低下しており、本人の意思を確認することは困難です。何もしなければ数週間の命でも、点滴をすると数か月、胃瘻ろうなどの積極的栄養で数年間の延命が可能です。家族の意見を聞いてみても、何もしないという選択は難しいです。点滴の場合は慢性期病床(病院)、胃瘻栄養の場合は施設に紹介して、看取ってもらうことが多くなります。アルツハイマー型認知症の場合、発症から平均10年で徐々に食べられなくなります。患者さんの判断力が残っているうちに、家族とともに「食べられなくなっても何もしない」と意思決定がなされていたらどうでしょうか。かかりつけの当院で看取ることもできますし、数週間なら在宅療養(場合によっては在宅看取りまで)も可能になるかもしれません。このためには早期から病気の経過を予測し、節目ごとに患者さんと家族に説明することが大切です。その上で延命処置の必要性について、事前に検討しておくのです。在宅療養に対する不安もあることとは思いますが、さまざまなルールに縛られない在宅の自由には代えられません。死を意識することで、より良く生きる・介護する・診療することが可能になるのではないでしょうか。認知症患者さんの在宅看取り?早期予後予測による意思決定支援の必要?笠間市立病院石いしつか塚恒つね夫お笠間の歴史探訪22五輪石塔は、平町の宍戸清則家の墓地内にあります。ここにはかつて、鎌倉時代の宍戸氏の山尾館と新善光寺がありました。涸沼川を望む高台で、道どうじょうぶち場淵と呼ばれています。宍戸氏の初代家政は、常陸国守護八田知家の四男で、史料には宍戸四郎や筑ちく後ご四郎兵衛という名が記されています。建久四年(一一九三)五月、家政は将軍源頼朝の富士野巻まきがり狩に供ぐ奉ふし、初めて源氏の祖六ろくそんのう孫王経つねもと基の六字の紋(州すはまもん浜紋)の旗を掲げました。巻狩の最中、曽我兄弟が父の仇、工藤佑すけつね経を討ちましたが、将軍暗殺の疑いで殺害されてしまいました。この事件は、常陸国の武士団に思わぬ波紋を投げかけ、多た気け氏が没落し、宍戸氏が小こづるのしょう鶴荘(現JR宍戸駅付近)に進出するきっかけとなりました。家政が小鶴荘山やま野の宇うご郷うに館を築いたのは、建仁三年(一二〇三)と伝えられ、山尾館とか宍戸城と呼ばれました。ここに家政の弟七郎朝勝(解げいあみだ意阿弥陀観かんきょう鏡)がお堂を建て、善光寺式阿弥陀三尊像を安置しました。このお堂が後の新善光寺です。家政は、建保元年(一二一三)五月、和田義よしもり盛(侍所別当)の乱に北条氏(幕府)方に立って参戦し、鎌倉の琵び琶わ橋ばしで和田軍の兵、朝あさひな比名三郎義秀と切りあい、討ち死してしまいました。五輪石塔は、江戸中期の明和六年(一七六九)、宍戸氏の子孫一ひと木き氏が先祖の八田知家と宍戸家政の供養のために作りました。一木氏の祖は、宍戸朝ともさと里の四男基もとさと里で、難台山の戦い(小山犬若丸と小田五郎の乱)の褒賞として、武蔵国一木郷(東京都港区赤坂)を与えられ、一木姓を名乗りました。新善光寺は、江戸中期に無住となり廃寺となりました。本尊の善光寺式阿弥陀三尊像は、笠間市住吉教住寺に伝えられ、五輪石塔とともに、笠間市の文化財に指定されています。(市史研究員南みなみ秀ひでとし利)八はっ田た知ともいえ家・宍しし戸ど家いえまさ政供養の五輪石塔五輪石塔(宍戸家墓地)市立病院の医療コラム43平成27年広報かさま2月号(vol.107)13