ブックタイトル広報 稲敷 2015年1月号 No.118
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広報 稲敷 2015年1月号 No.118
広報稲敷平成27年1月号30ふるさと探訪第100号いろいろなお釈迦さま●市郷土資料調査委員・山本裕子お釈しゃか迦さまの姿をあらわした仏像の形は一種類ではありません。立っている像、座っている像、横になっている像など多種にわたります。それはお釈迦さまの生涯をあらわす伝記をもとに造形化しているからなのです。その1釈迦如来立像お釈迦さまを安置する諸寺院に行くとよく見られる形が立った姿や座った姿の像です。満願寺所蔵の釈迦如来立像(写真1)は、県内で最も古い仏像として知られ、白鳳時代のものです。同寺には釈迦如来立像として伝えられたものです。銅で造られていて、一枚の衣をまとい、手は施せむいいん無畏印・与よがんいん願印という印を結んでいま上に右手を下にしているのが特徴です。時々、県立歴史館で展示されることがあります。誕生仏はとても小さな像が多く、見逃してしまいそうですが、市内の幾つかの寺院においては江戸時代作と考えられる誕生仏(写真2)が確認されています。その3出山の釈迦像出しゅつざん山の釈しゃ迦か像は、修行を終えたお釈迦さまが山から出てくる姿をあらわしたものです。苦しい修行のためか顔や体は痩せ細って、胸の辺りは骨が浮き出ているす。市の歴史民俗資料館にはこの像の複製が展示されています。その2誕生仏お釈迦さまは、母親である麻ま耶や夫ぶにん人の右腋下から誕生しました。生まれると、七歩進み右手で天、左手で地を指して、「天てんじょうてんげ上天下唯ゆいがどくそん我独尊」と唱えます。この伝記を造形化したものが、誕生仏です。四月八日に諸寺で催される灌かんぶつえ仏会(花祭)にて、甘茶をかけてお釈迦さまの誕生を祝う像がこれにあたります。茨城県立歴史館が所蔵する誕生仏は、稲敷市下君山廃寺出土という伝えがあり、高さ六・四センチ、奈良時代の作で、通常の誕生仏の形は右手を上げ、左手を下げるのですが、この誕生仏は珍しく左手をお釈迦さまはやがて入滅を迎えます。この姿をあらわしたものが、涅ねはん槃像ぞうです。お釈迦さまは頭を北に向け右脇下を下にして横たわります。多くの寺院が所蔵する涅槃図は絵画化したもので、絵画では横になったお釈迦さまのまわりに多くの嘆き悲しむ弟子や動物が集っているのが特徴です。一方で彫刻の場合、絵画とは異なりお釈迦さま単体で安置されることがほとんどです。根本の釈迦堂(写真4)に安置される涅槃像は県の文化財に指定されており江戸時代の作で、全長一九三・五センチと大きさのある像です。彫刻の涅槃像は絵画の涅槃図に比べ所蔵する寺院は比較的少ないのですが、稲敷市内には根本の釈迦堂のほか、伊佐部の照明院(写真5)と須賀津の釈迦堂(写真6)にも安置されています。●歴史民俗資料館?0299?79?3211などの表現がみられます。市内の瑞祥院には、小ぶりな出山1釈迦如来立像(阿波崎・満願寺)2誕生仏(浮島・清光寺)3出山の釈迦像(江戸崎・瑞祥院)4涅槃像(根本・釈迦堂)5涅槃像(伊佐部・照明院)6涅槃像(須賀津・釈迦堂)の釈迦像(写真3)が安置されていますが、この種類の像はあまり目にすることは少ないため、少々珍しい像と言えます。その4涅槃像