ブックタイトル歴史館だより No.109
- ページ
- 12/18
このページは 歴史館だより No.109 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 歴史館だより No.109 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
歴史館だより No.109
時を超えて利用された行政文書と弘道館の復旧東日本大震災により甚大な被害を受けた弘道館*1の復旧に,歴史館が保存・公開している行政文書が利用されました。今号では,歴史公文書等の適切な保存と利用等の重要性について述べます。*1弘道館(特別史跡旧弘道館:水戸市三の丸1-6-29)は,水戸藩第九代藩主徳川斉昭が,天保12年(1841)に藩士とその子弟の教育のために設立した藩校です。藩校としては全国一の規模を誇り,その敷地内には正庁・至善堂などのほかに文館・武館・医学館・天文台・鹿島神社・孔子廟などが建設されるとともに,馬場・調練場なども整備され,まさに文武両道の総合的な教育施設でした。幾度の戦火を免れて,現存する正門・正庁・至善堂は国の重要文化財に指定され,復元された八卦堂・孔子廟などを含む弘道館公園一帯は,旧弘道館として特別史跡に指定されています。では,行政文書はどのように利用されたのでしょうか。そのことに関する文章の一部を紹介します。(前略)筆者の個人的な体験ではあるが,震災復旧に係る調査の過程で再会した行政文書について記しておきたい。私にとって初めての仕事は,茨城県立歴史館史料部で当時本格的に開始されたばかりの行政文書の整理・補修作業であった。「行政文書」という言葉もまだ広く知られていなかった頃,自分達が整理・補修した行政文書が数十年後に貴重な歴史資料になることを,皆が誇りに思いながら作業に取り組んでいたことを思い出す。東日本大震災の発生から数か月後,茨城県立歴史館で弘道館の震災復旧のために行政文書を調査した。調査を進めると,明治十四年に弘道館の管理が県に委ねられた際の引き渡し書や昭和三十年代に行われた弘道館の大修理に関する文書など,参考となる行政文書が数冊確認された。その一冊を開くと,そこにはかつて私が鉛筆で記した資料番号や図面の名称,丁寧に和紙を貼った補修箇所があった。行政文書の整理・補修作業に携わっていた頃には,将来,これほど行政文書に助けられることになるとは思いもよらなかった。この行政文書との再会は,資料保存を志した頃の自分自身との再会でもあった。初心を忘れることなく,これからも文化財や歴史資料を守るために努力していきたいと思う。*弘道館事務所・小圷のり子編集『茨城史林』第36号所収筑波書林2012年6月「弘道館・偕楽園の被災と復旧への歩み」茨城地方史研究会1