ブックタイトル茨城県近代美術館/美術館だより No.99
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茨城県近代美術館/美術館だより No.99
石版画の方法自体が、もともと彼の目指したところをそのまま体現していたことを示したのだろう。これは彼にとっての啓示以外の何ものでもなかった。版によってイメージを転写するということではなくて、上からの石の力とそれを受けとめる紙の反作用が作り出す造型、その“間”に生まれる表面の痕跡そのものが作品となるような制作のあり方、それこそが、彼が求めた創作の理想型ということになるだろう。表面が間であり、垂直と水平の間であるという題名が意味するところはまさにこのことに端を発していた。であるとすれば、版によるイメージなどは、かえって余分なものとなるかもしれない。ポップ調の作品では、イメージを介してある思想=自然の力を示すエピソードを作り出していたのだろうが、そこに感じていた彼の違和感は、この啓示によって見事に払拭されることになった。この春風のできごとが、いつのことであったのかは明確ではないが、70年代中頃からの彼の作品には、ほぼ確実にあの呪文のような表題“Surfaceis the Between - Between Virtical and Horizon”がつけられることになる。同時に、彼の画面から、具体的なイメージはほとんど姿を消していく。ただし、石と小枝等いくつかの影像はその後もあらわれる。それらは、単なるイメージではなく、彼の思想を代弁する象徴的存在であったのだろう。■鑑賞者の立場からそれでは、彼の作品を見る側は、そこに何を見ればよいのだろうか。もちろんあの呪文の意味を知った今であれば、そこに見られる造型が、垂直の力が水平面に受けとられた痕跡の形ということを理解するだろう。しかしこの理解というものは、作品そのものから感じられるものと必ずしも合致するとは限らない。私たちが作品と出会いまず受けとめるべきは、見えるものをどう感じとるかということだろう。たとえば、私は、彼の作品「S. B.B. V. H. Garden Project = Locus Sutra」(1979年、図4・5)※注を、故人となった彼のアトリエの壁にかかっている状態ではじめて見たのだけれども、そのとき私の胸に浮かんだ言葉はただ単純に“いいなぁ”という、なんともありふれた感想だったことを思い出す。どちらの作品も、ほとんどがキャンバスそのもので、一方は、一部に小枝とおぼしき影像が見えるだけ、他方は、画面半分がうっすらと墨色に染められている、それだけの作品である(実際には、図5の方の裏側には、黒い色が一面に刷られていた)。“いい”などというのは、あまりにもベタで恥ずかしい思いにもかられるが、それゆえにこそ、その感想の意味を知りたくなるのであり、そこではじめて、彼の“間”の思想に出会うことになる。いや、本当のところ、彼の情報は前もって調査済みであったのだから、その出会いはほんの瞬間的なものに違いない。しかしながら、順番は、あくまでも感じる方が先であって、理解する方が後なのである。たとえば逆に、その印象がまず悪かったとしても、その後にその理由を知りたくなるとしたら、事情は同じことになるだろう。この“知りたい”ということ自体が、心が反応している証拠であり、その時、井田の“間”の思想に至れば、その印象も変わってくるはずなのである。作者にとって、自分がしっくりくる方法論を見つけることは重要だろうし、作品生成の論理は、自ら探り出すしかないだろう。ただ単に、自然の風景に立ちむかって、絵筆をふるうだけでそれをつかめる人もいるのかもしれないが、自分だけの方法論を見いだせないでただ漫然と描くだけの作品は、きっと見る者を惹きつける魔力を発揮することはないのではなかろうか。ほとんど同じように見える作品が、全く異なる印象を持つということは、美術にあってはよくあることである。あるいは、「これだ」という答えに至らなくても、それを模索する過程が真剣なのであれば、その魔力は得られるのかもしれない。でなければ、彼のポップな作品の魅力は説明できない。井田の作品に魅惑された者であれば、彼の創作の論理にもすぐに共感を持つだろう。あのうっすらとした墨色も、かそけくしか見えない小枝の影像もきっと、何らかの方法で垂直の力がかかって画面の表面に残された痕跡に違いないと合点するだろうし、その論理が、彼の作品を輝かせるマジックの根源なのだと納得するのである。もちろんここでも、作者と私たちの“間”に存在するものは、ただ作品という表面だけなのだということを忘れてはならない。[近代美術館副参事兼美術課長小泉淳一]4リトグラフ、画布5リトグラフ・スクリーンプリント(シルクスクリーン)両面刷、画布*注:“Garden Project”は重力を受ける大地をテーマとしたシリーズ名。“Locus Sutra”は“Lotus Sutra(法華経)”のもじりで、場所(Locus)の経典といったところ。7