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概要

広報なか 2014年9月号 No.116

広報なか9月号9問い合わせ緯297-0080碑文村長勲八等根本信之介君曁根本婦人笹島氏喜代子歴史民俗資料館緯297・0080問い合わせ故勲八等根本信之介君之故勲八等根本信之介君之碑金ヲ献ジ、村長ヲ補佐シテ励精愈々其ノ職ニ尽シ、功績尤モ顕ハレ、三十八年推レテ五臺村村長トナリ、職ニアル事三有余年、四十五年九月四日、病ヲ得テ死ス、時ニ行年五十三歳、是ヨリ先三十九年四月、三十七、八年戦役中ノ功ヲ以テ勲八等ニ叙セラレ、白色桐葉章ヲ賜ハル大正元年十二月衆議院議員勲四等根本正撰文北条時雨書男秀之介建根本正に関する史料はかなり調査が進んではいますが、このように碑陰文を撰文していることもかなりあると思われます。今回、根本正の墓所脇にあったことを見のがしていたのは資料館としては迂闊でした。今うかつ後も、市民の皆様のご協力をいただきながら地道に調査を進めて参りたいところです。碑陰文君、諱ハ俊信、信之介ト称ス、父ハ源介、安政四年四月四日茨城県那珂郡五臺村東木倉ニ生ル、同郡國田村笹島仁衛門二女喜代子ヲ娶リテ二男ヲ生ム、長ヲ秀之介トイヒ、家を継グ、次男ハ早死ス、君、資性温厚篤實、農ヲ業トシ勤倹力行、加フルニ慈愛ノ心ニ富ミ、常ニ専ラ心ヲ教育及村治ノ事ニ致ス、其ノ功績甚シ、明治二十二年町村制實施ノ時ニ當リ、君、選ハレテ五臺村村会議員ト為リ、又東木倉ノ区長ニ推サル、適五臺尋常小学校ノ位置東木倉ニ指定セラルルヤ、初メ民家ヲ以テ其ノ校舎ニ充ツ、君、深ク其不完全ヲ憂ヒ、一日モ早ク之ヲ改メン事ヲ期シ、自ラ奮ツテ自己所有ノ地ヲ寄附シ、熱誠能ク区民ヲ説キ、遂ニ一校舎ヲ新築スル事ヲ得タリ、区民今ニ君ヲ徳トス、二十六年東木倉地主総代ト為リ、三十四年五臺村助役ニ選バル、日露戦争起ルニ際シ、率先シテ軍資根本信之介夫妻の墓水郡線の水戸一高下ト水郡線の水戸一高下トンネルを架橋ネルを架橋に昭和4年(1929年)月日、1117昭和天皇の太田における陸軍特別演習御親閲行幸に際し、お召し列車が、那珂トンネルを通るには狭いという事情のために、土橋やトンネルを廃して切通しとし、橋付近の線路の側幅の拡張工事、土橋の改良工事すなわち代替の架橋について国鉄側は茨城県に了承を求めました。それに対して県は、史蹟保存と生徒の通学に支障のないことなどを条件にこれを認めました。また、県有地と国有鉄道の境界は、橋の橋脚部分をもって境界と定めました。これをもって、新設される橋は国有鉄道の所有物となりました。工事は昭和4年(1929年)6月から開始されました。架橋の様子は、写真に見られるように、手前が仮設の木造桟橋で、その向こうがトンネルが通じている土橋、その上部は既に崩されつつあり、その上に工事人夫達が乗っています。その土橋が崩されて、低くなった上に架けられつつあるのがトラス橋と見えます。この後、土橋・トンネルともに取り払われたのでしょう。橋は、この年の9月に完成し、水戸中学校職員で漢学に造詣の深かった天海謙教諭によって「本城橋」とほんじょうばし命名されました。なお、太田小学校校庭の西隅に当時の浜口雄幸首相の揮毫による「聖せい上御駐蹕處」と刻した記念碑がじょうごちゅうひつのところ常陸太田市立太田小学校常陸太田市立太田小学校内の記念の記念碑建っています。裏面には昭和四年陸軍特別大演習ニ際シ、十一月十七日天皇陛下本町ニ行幸アラセラレ、駐蹕五時間御講評ヲ終ちゅうひつヘサセラレ、還幸シ給フ、乃チ其の光栄ヲ録シテ、之ヲ永遠ニ傳フ昭和五年十一月十七日茨城縣知事正五位勲四等牛島省三謹書とあって、行幸の光栄を永遠に伝えようと、ちょうど1年後に建立されたことがわかります。【注】駐蹕ちゅうひつ10天子(天皇)の行幸のこと「聖上御駐蹕処」碑五台小学校に建てられた「巡幸永念之碑」の行方、あるいは撤去された事情などご存じのかたは、情報を歴史民俗資料館までお知らせください。最後にお願最後にお願い水戸一高下の架橋(『水戸一高百年史』より)(注10)墓故