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概要

広報なか 2014年9月号 No.116

広報なか9月号7問い合わせ緯297-0080◆昭和天皇行幸経路図大正期の清水寺(『那珂郡郷土史』より)地図:国土地理院地図【注】1清水原五台村の広い範囲を占める字名。ここでは、かつて水戸藩が兎や鹿狩りなどを含む家臣たちの軍事訓練が行われていた。そのことから、水戸から近いこの由緒ある地が御巡幸に選ばれたものと思われる。2大本営戦時中、事変中に設置された日本軍の天皇直属の最高統帥機関3観兵式かんぺいしき天皇陛下が兵を整列または行進させて検閲した式江戸時代天保期の清水寺境内(根本喜代寿氏蔵)4賜饌場しせん天皇陛下から食事を賜る会場5貔貅ひきゅう勇猛な軍隊・将卒6臠わすみそな見るの尊敬語、ご覧になる。7水戸高等学校東原にあり現水戸第一中学校の裏手に当たり、元水戸国立病院があった。大戦後に茨城大学文理学部となった。8天神窪豊喰天満神社が字「久保」にあったことからそう呼ばれた。【写真】○馬上の昭和天皇昭和9年代々木練兵場での観兵式(『日本歴史シリーズ』「太平洋21戦争」より)大和田志一への感状(『那珂町史』近代・現代編より)これは、大和田志一氏がこの御巡幸に警衛補助として出動し、記念にメダル1個を贈呈されたことを示しています。「永遠ノ記念」昭和四年十一月水戸を中心として、常総の野に陸軍特別大演習を挙行せられ、畏くも聖上陛下には、茨城かしこ県庁の大本営に行幸遊ばされ、親しく四万余の貔貅を臠わせ給う。ひきゅうみそな次で十一月十八日水戸高等学校賜饌場より御還幸遊ばされた陛下には、直に御愛馬吹雪に御召しになり、午後三時大本営を御出門万代橋を渡らせられ、青柳を経て、中台並木より左折し、所謂通学道路を一直線に、学校東側道路を御通りになられ、住宅裏へ御出で、午後三時四十分本校正門前を御通過遊ばされ、天神窪に向わせられ、西木倉高台の畑道を進ませ給い、東木倉坂道(根本秀之介氏裏手の坂)を御下りになられ、観音堂(清水寺)側より再び学校に向わせ給い松林中頃より御引返しになり、林沿いの細道(現在の中台通)を進ませ給う。途中檜枝垂れ蔓り、陛下御親から避け給いしと云からまう枝、今も切らずにあり。(根本定吉氏裏の林)斯くて中台県道に御出での上、御機か嫌麗わしく大本営に御還幸遊ばされたり。以上は、当時の奉拝者の講話と、簡単なる謹記とを綜合し、この光栄を永く後代に伝えんと欲し、茲に謹ここんで之を記す。(原文はカタカナ入り)昭和十一年九月三十日校長黒澤哲二(注7)(注6)(注5)(注8)