ブックタイトル広報なか 2014年9月号 No.116
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広報なか 2014年9月号 No.116
6歴史民俗資料館だより昭和四年陸軍特別大演習と昭和天皇の五台村御巡幸1 9?「巡幸永念の碑」はどこに消えた??五台村(現那珂市)には、鎮守吉田神社や根本正の生家、それに隣接する郷士であった後藤家、清水寺、水戸藩の軍事調練場であった清水原など数多くの歴史的財産があります。この五台地区については、平成年1月1日発行の広報なか「水鳥1625」で「東木倉村絵図に見る村の景観」と題して紹介しましたが、今回はそれらに加えて、昭和4年(19はじめはじめに29年)の昭和天皇の御巡幸があった事実およびその関連事項を紹介します。資料は昭和年(1942年)に17茨城県師範学校から発行された『常陸行幸紀事』(国立国会図書館蔵)によりますが、さらに地元東木倉の根本喜代寿さん、中台の根本三代造さんからの聴き取りを加えています。この昭和天皇の御巡幸は、昭和4年(1929年)月日から日111518までの4日間の日程で行われた陸軍特別大演習の際になされたものです。特別大演習は毎年1回行われ、天皇が親しく統監するものです。昭和天皇は、月日1114午後に大本営となった茨城県庁に到着されました。(現在の三の丸庁舎ですが、この県庁舎完成は翌昭和5年ですから未完成のままで大本営が置かれたことになります)日に東(南)軍が白川義則司令17官、西(北)軍が井上幾太郎司令官と両司令官の指揮の下で行われた大演習を視察された後に、常陸太田市の西山荘や太田尋常小学校を行幸されました。太田尋常小学校では大演習の講評が行われました。日は水戸堀原練兵場(現茨城県18営野球場脇)で観兵式が行われ、かんぺいしきその後水戸高等学校に設けられた賜し饌場で天皇陛下から食事を賜わりせんました。その後、五台村へ御巡幸されました。日からは地方行幸が行われ、1919日は霞ヶ浦海軍航空隊、鹿島神宮、日は水戸地方裁判所、水戸地方専売20局、弘道館など、日は常磐神社・21好文亭などを訪問された後、同日午後皇居に還幸されました。『常陸行幸紀事』(国立国会図書館蔵)清水原(水戸農高遠望)堀原練兵場(『茨城100年グラフ』(檜山智三氏提供)より)陸軍特別大演陸軍特別大演習五台村御巡幸紀五台村御巡幸紀事この記録は、御巡幸があった年から7年後の昭和年(1936年)119月日に、当時の五台小学校の黒30澤哲二校長(戸崎出身)が、当時の記録や聴き取りによりまとめたもので、御巡幸当日の様子を知ることができる貴重な記録です。次ページでその文章を紹介します。水戸高等学校馬上の昭和天皇(注3)(注4)(注2)(注1)