ブックタイトル広報もりや 2014年9月10日号 No.603
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広報もりや 2014年9月10日号 No.603
員流交際国今年は第一次世界大戦の開戦100周年に当たり、ドイツ大使館から提供されたドイツ・ヨーロッパの歴史についてのパネル展を市役所で開催します。▼日時10月14日?~28日?▼内容極限の時代における独裁と民主主義・20世紀ヨーロッパ史を照らし出す光▼会場市役所1階市民ホール▼問合先市役所市民協働推進課協働推進G内線133私も歴史に深く関心があり、今回はドイツの戦後の歴史についてお話します(ここで言うドイツとは西と東統一後のドイツです)。まず、日本とドイツの戦後の歴史にはいくつか似ている部分があると気付きました。敗戦後国民の苦労とアメリカの支援によって日本は世界経済力で2位(現在3位)、ドイツは3位(現在4位)まで復興し、国連に加盟している先進国になりました(中国が2007年にドイツを、2010年に日本を追い抜いたので、現在は3位と4位になっています)。さて、今回はドイツの話です。戦後のドイツでは過去をどう克服するかという議論があり、最初にナチスと協力した人を社会に統合することになりました。しかし、1970年代まで平和を望む国民がベトナム戦争などのためにデモを行い、ドイツの雰囲気が次第に変わりました。1970年12月7日にポーランドのワルシャワでナチスに対して暴動を起こしたユダヤ人のための招魂祭が行われました。その場でドイツのヴィリー・ブラント首相が世界の目の前でひざまずき、黙祷しました。時が遅くてもその重要な瞬間からドイツ歴史とその責任は世界の人々に謝罪し、戦争で起こした道徳的に悪い行いを認め、もう二度と繰り返さないように反省しました。戦後は、ドイツではナチスのシンボル・歌・あいさつなどが禁止されました。また、さまざまな場所で戦時記念碑があり、子どもは遠足で強制収容所へ見学に行ったり、学校でナチスやホロコースト、その政治的な背景を勉強します。さらにドイツは、1950年代から近隣諸国のベルギー、ルクセンブルク、オランダ、イタリアと元宿敵のフランスさえとも一緒に協力し、EUとユーロ統合について積極的に考えました。ドイツがヨーロッパの他国に受け入れられ、尊重されるようになり、戦争がEUの現在の政策に影響することもなく、「私はドイツ人であるだけでなく、ヨーロッパ人だよ」と言えて、本当に嬉しいです。ドイツは20世紀の前半にひどい戦争を起こしたのにも関わらず、今日に至るまでになり、誇らしく思います。女性の教育の機会を奪う、誘拐し売り払う、暴行後殺害するなどの痛ましい事件が世界のさまざまな国で発生し、連日報道されています。これらの国々では、「女性の地位は低くて当たり前」との共通の社会状況があります。かつての日本も同じでしたが、女性たちの知識を得たいと思う向上心、困難を乗り越える粘り強さ、そんな女性たちを応援し、協力を惜しまなかった男性たちの頑張りで、今日のようになりました。以前、知り合いだったバングラデシュ人の女性研究者が、「実験で頻繁にラットを使うが、グループがオ男女共同参画コラム(男女共同参画推進ネットワーク)だれもがいきいきと輝けるまちを目指して世界の女性にエールを!スだけではケンカばかり」と話していました。人間とラットを比べるのは少々無理がありますが、世界の国々で女性の地位が向上し、両方の性が仲良く力を合わせれば、もっと平和で安全な暮らしができるのでは、と思いました。さらに彼女は「自分の研究が、祖国の女性に役立つように頑張っている」とも語りました。その言葉は、私たちの先輩の日本人女性と重なり、明るい希望を感じました。○このコラムに関する意見・感想は、左記までメールをお寄せください。kyoudou@city.moriya.ibaraki.jp広報もりや2014.9.10 20