ブックタイトル広報つちうら 2014年9月上旬号 No.1130

ページ
19/20

このページは 広報つちうら 2014年9月上旬号 No.1130 の電子ブックに掲載されている19ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

広報つちうら 2014年9月上旬号 No.1130

市立博物館の2階にある展示室には、瓦がとう塔・瓦がどう堂と呼ばれる焼き物でできたミニチュアの五重塔と仏堂の全体形状を復原した資料(以下、復原資料)があります(写真1)。これらの資料復原のもとになっているのが、根ねじかきたいせき鹿北遺跡で出土した実物の瓦塔や瓦堂の破片です(写真2)。根鹿北遺跡は市内北部の今泉に所在した遺跡で、1995(平成7)年に市営今泉第二霊園の造成にともなって発掘調査が行われ、台地上と天の川流域をのぞむ傾斜地に弥生時代(3世紀代)と平安時代(9世紀代)118小さな塔と仏堂の復原―根鹿北遺跡出土の瓦塔・瓦堂―の人々の営みの跡がみつかりました。平安時代には台地の先端にお堂が建てられ、その中に瓦塔や瓦堂が安置されたうえ、それを崇拝の対象とした仏教信仰が行われていたようです。この根鹿北遺跡でみつかった瓦塔や瓦堂の破片は総数で100点近くになり、その多くはお堂の周辺からみつかりました。これらの数多くみつかった破片は、多様な部位のものがみられます。一般的に、瓦塔・瓦堂は奈良時代から平安時代にかけ、東国を中心に造られたといわれます。しかしながら、市内では初めての出土で、茨城県内でも10遺跡ほどしか見つかっておらず、その大半はわずかな小片です。このような状況のもと、瓦塔と瓦堂の破片がまとまって発見された事例は全国的にも少なく、根鹿北遺跡出土資料の重要性がうかがわれます2。007(平成19)年に市立博物館は開館20周年を迎え、展示室やその展示内容についてリニューアルすることになりました。この過程で、破片資料である根鹿北遺跡の瓦塔・瓦堂については、全体の形状を視覚的に理解しやすくするため、復原資料の製作を行いました。この瓦塔・瓦堂の復原資料製作にあたっては、根鹿北遺跡で出土した資料の再検討と類似事例の調査を行い、専門家の方に資料製作の設計や監修をしていただき、製作会社とも協議を重ねました。資料の復原に際しては、実物の瓦塔・瓦堂の破片一つ一つから型取りにより複製資料を作成し、全体形状を形作る粘土材の中に埋め込む方法が採用されました。これは、今後の実物資料の調査研究や、さまざまな活用を重視してなされたことです。展示室の復原資料をよく見ると、色の濃淡で型取りした複製資料が埋め込まれている様子が分かります。また、その前には復原のもとになった実物資料もならべてあります。先の復原資料製作をとおして、根鹿北遺跡出土瓦塔は各々の部材を組み上げると高さ125センチの小さな五重塔として、瓦堂は高さ44センチの小さな仏堂としてよみがえりました。根鹿北遺跡出土の瓦塔・瓦堂の復原資料は、多数ある展示物の一つに過ぎませんが、そこにはそれを「見せる」「知ってもらう」ための工夫がいろいろと隠されています。ぜひご覧ください。市立博物館(?824・2928)問写真1瓦塔(左)・瓦堂(右)の復原資料写真2瓦塔の実物資料19広報つちうら2014.9.2