ブックタイトル広報 常陸大宮 2014年7月号 No.118

ページ
13/16

このページは 広報 常陸大宮 2014年7月号 No.118 の電子ブックに掲載されている13ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

広報 常陸大宮 2014年7月号 No.118

???????? ??????た。昭和41年にはその功績を称え、優れた特色を持つ?橋梁に与える栄誉ある賞として、社団法人土木学会に??より田中賞が創設されたほどです。?田中博士の設計する橋は、芸術的な優雅さと実用的??な強度を兼ね備えたアーチ構造が特徴です。手掛けた?橋のうち現存する永代橋や萬代橋は、国の重要文化財??指定を受けるなど、近代橋梁建築技術の結晶として非????????????常に高い評価を得ており、現在でも地元住民から大切?常陸大宮市野口地区では、茨城百景のひとつ、関東?に守られ、また地域資源として観光面等に活用されての嵐山ともいわれる御前山と清流那珂川の織りなす四?います。?季折々の景色を楽しむことができます。ここはカヌー?などアウトドアのメッカとして広く知られているほか、毎年恒例の御前山納涼花火大会でもおなじみです。この常陸大宮市の誇る風光明媚な地区のシンボル?????のひとつに、皆さんご存知の「赤い橋」、那珂川大橋が?あります。?しかしながら、ここには大正時代まで橋はなく、舟??で那珂川を渡っていました。大正14年に木橋が架けら? ????????????????? ????????????? ??????????????れましたが、昭和13年の洪水で流され、続いて架けら?れた仮橋も昭和16年、20年、23年の洪水のたびに流さ?れ、永久橋建設が地域の悲願となっていました。その?第二次世界大戦後の復興時期に架けられた那珂川大?後架けられた橋は、田中豊博士の設計によって昭和24?橋は、既に東京大学名誉教授となっていた田中博士の年に完成したもので、これが現在に残る那珂川大橋で?晩年の傑作であり、その事業規模も当時としては以下?す。?のとおり桁外れでした。??総工費8,500万円??就労人員述べ75,000人??橋体830トン??鋼材使用量橋面1m2あたり5.4トン?下部構造115トン??セメント使用量1,100トン??(「御前山村郷土誌」より)??昼夜に及ぶ12カ月間の大工事により完成した、長さ?282.4mの四連ランガー式構造橋は、赤い色の近代的????????????アーチ型が印象的でありながら周囲の自然ともよく調?和し、竣工から半世紀以上が経過した現在でも圧倒的?田中博士は、明治21年に長野県長野市に生まれ、東?な存在感を誇ります。京帝国大学を卒業後、鉄道省の技術者として働いてい??ました。大正12年に関東大震災が発生すると、復興事?那珂川においては、日本百名橋のひとつに数えられ業のため内務省復興局に抜擢され、甚大な被害を受け?た水戸市の水府橋や、国道245号の湊大橋など茨城県?た東京の橋梁再建に取り組みました。そして隅田川に?を代表する名橋が、近年次々に寿命を迎えました。一えいだいばしきよすばし架かる?永?代?橋?(大正15年竣工)や?清?州?橋?(昭和3年竣?度生まれ出たもので滅びないものはありません。この?工)等を、当時の最先端技術を駆使して次々に設計し、?那珂川大橋が奏でる風景も、いつかは失われてしまう大震災からの復興に大きく貢献したのです。また新潟?ことでしょう。ばんだいばし?市のシンボルとして知られる?萬?代?橋?(昭和4年竣工)?常陸大宮市の誇る絶景を、ぜひ皆さんの記憶に留めも、田中博士が手掛けたものです。?ておいてください。?その傍ら、田中博士は東京帝国大学教授も務めるな?ど後継者育成にも尽力し、多くの技術者を育てまし????????????52?1450???????????????????13