ブックタイトル広報かしま 2014年7月15日号 No.475

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広報かしま 2014年7月15日号 No.475

震災の鎮魂と復興の思いを込めた立た ちねぷた佞武多モバイルサイト広報2014年7月15日号№475【発行】 鹿嶋市 〒314-8655 茨城県鹿嶋市大字平井1187-1【編集】 企画部情報政策課  0299-82-2911(代表)  0299-82-0789http://city.kashima.ibaraki.jp/jouhou1@city.ibaraki-kashima.lg.jp市の花…はまなす  市の木…松  市の鳥…きじかっていたから」と、ほほ笑む。 「子どもながらに食べさせてもらっていることを恩義と感じ、佞武多作りを手伝おうと、紙を貼ったりして。今思えば、大人たちを見ながら技術を学んだ」と、昔を懐かしむ。 福士さんは、「鹿嶋大明神と地震鯰」の制作が決まった後、鹿嶋の地を訪れた。「鹿島神宮に参さんけい詣したとき、鹿嶋が塚原卜伝の生誕地だということもわかった。津軽藩の弘前城には刀の指が、3年前に市役所に入庁。商工観光課の技師として、毎日を青森三大ねぶた祭りの一つ、五所川原立佞武多祭りの佞武多制作にいそしむ。 「立佞武多は、生まれた時から親しんでいた。まつりは、作ること、お囃は や子し、跳は ねと人の3つあり、私は作ることが好きで、完成した時の達成感は格別。」 五所川原の立佞武多は、明治から始まり、戦争や旧市内の大火もあって資料や設計図が焼失し途絶えていた。平成になって有志が復活させようと活動を始めた頃、福士さんは小学3年生だった。 「市役所互助会などが中心となって自主制作が始まり、小学生の私たちも出入りするようになり、大人たちといっしょに佞武多作りを手伝うようになった。作るのも楽しかったが、行けば中華そばやカツカレーの出前がごちそうになれることがわ 毎年8月に開催される青森県五所川原市の立た ちねぷた佞武多祭りで、市内を練り歩く高さ23メートル、総重量19トンにも及ぶ立佞武多に「鹿嶋大明神と地震鯰なまず」を題材にしたのは、先の東日本大震災で犠牲になった方々の鎮魂と復興への思いが込められていた。 「復興祈願・鹿嶋大明神と地震鯰」を制作したのは、五所川原市の職員で技師の福士裕朗さんで、「被災地の北に位置するこの五所川原から、被災した地域や人々に対してエールを送りたいとの思いが佞武多になった」と話す。 福士さんは大学を卒業後、いったんはリンゴ農家で働く南役の宗家の中に卜伝流の宗家がある。こうした縁が、私に立佞武多を作らせたと感じた。これは、見えない大きな力、それこそ鹿島神宮の武たけみかづちのおおかみ甕槌大神の力やいろいろな巡り合わせで、私のデビュー作品となった」と、うなずくように話す。 祭りでは、3年ごとに新しい立佞武多にかわる。立佞武多の館で静かに佇たたずみ、最後の出陣を待つ「鹿嶋大明神と地震鯰」に込めた思いを語る福士さんの津軽弁が心地よい。 五所川原は、吹きすさぶ風雪と鈍にびいろ色の雲に覆われた長い冬を乗り越え、8月4日から8日まで、夏の夜空に「復興祈願・鹿嶋大明神と地震鯰」がそびえ立ち、跳人や引き人、囃子人の「やってまーれ!やってまーれ!」の掛け声で動き出す。(平成26年1月に取材)▲市中に繰り出す立佞武多▲雪深い津軽を走るストーブ列車▲立佞武多を制作する福士裕朗さん青森県五所川原市商工観光課 福士裕ひろあき朗さん〈表紙のことば〉 花いっぱい運動… 6月21日、国道124号と国道51号バイパスで花いっぱい運動が開催され、市民ボランティアや事業者、各種関係団体などが参加し、みんなで一緒に花壇づくりを行いました。花壇には、マリーゴールドやサルビア、コキアが植えられ、街道を色とりどりの花で飾りました。ひ とギャラリー