ブックタイトル広報おおあらい 2014年6月号 Vol.510

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概要

広報おおあらい 2014年6月号 Vol.510

おおあらい歌壇●勝山一美選野の緑いよよ濃くなり爽さわやかに散歩の道のり少しく延のばす寺釜九区 三村住江〔評〕春ともなると野山の緑りも一段と深くなる。散策もまた楽しくなるというのだ。散らんため今を大事と桜咲く九十二歳らしく生きたし新町二区 高崎夫左江〔評〕桜花のいさぎよく散るというのは、日本人の心の中に宿っている。作者自身も斯く生きたいという。ネモフィラの咲きいる丘は天空へ連らなるごとく一面の青永町十六区 身内ゆみ〔評〕ひたち国立公園に遊んだ時の歌。空へと続くうす緑の花は一面かがよう景。訪れた者の心も輝く庭隅の石しやくなげ楠花の花細こまやかに馥ふくいく郁として朝の日浴ぶる 桜道五区 猿田彦太郎〔詠〕朝々作者の家の庭に咲かせる石楠花。「馥郁」は、香りただようから来る。烈公の漢詩がおもいだされる。会う度に言葉増えゆく二歳児の「だから、そして」と言ことば語つながる新町六区 関根秀子〔評〕面白いまで巧みである。外孫であろう言葉の連係が不思議に伝わってくる。歌ごころ湧かさん空を仰ぐとき狭さにわ庭の梅のすずなりに見ゆ金沢一区 古渡節子〔評〕歌を詠みたいと希ねがって作者は空を仰ぐ。おりしも庭の梅が鈴すず生なりに群がって見えるというのだ。キリン草刺とげを付けいて莖くき添ぞいに上へ上へと白しらはな花咲かす新町十区 打田照子〔評〕写真でみるキリン草は驚く様な刺が突き出ている。「キリン」というのだから首となる莖くきがながいのであろう。紫の藤の花房境内に経の流れしうららなる春永町七区 秋山まさ子〔評〕お寺の裏庭なのか読どきょう経が聴こえてくる。おりしも美み事ごとなまでに藤の花房が枝しだ垂れて咲いている。葦あし生おふる小川のほとり孫とゐて笹舟浮かべ行く未思ふ寺釜九区 佐藤よし子〔評〕葦の繁しげみに孫と遊びながら、笹舟を流している。作者は孫の行く末良かれと希うのだ。雨止みて五月の庭木高々と若葉萌もえ出いで清すがやかに立つケアハウス「オアシス」 清宮しげ〔評〕四しい囲の樹々に溢れるように若葉が芽めば生え初めている。春の清すがすが々しい気分を詠んでいる。半はんもう盲の身の連日の医者通いやうやく一首まとめむとする祝町十区 佐藤毅〔評〕作者は強く目を病んでいる。併しかし作歌意欲はおとろえない。暫やうやくとは、その実現を待ち望む心である。曇り空雨降りくるを案じつつ春の浜道散歩しており東光台二区 大谷義治〔評〕散歩のひととき、雨の降ってくることは無情。とりわけ浜海道は愉たのしみたいものだ。寒暖の激しく変る空ならん照る日の眩まぶし春晴れ渡り永町六区 鬼澤のぶ子〔評〕寒さ暖かさがくり返しやってくる。ああ今日は暖い日だ。作者はまぶしいまでの空を見あげて思わず声を出す。おりおりに友と集いて御ご詠えい歌かの稽けいこ古終れば世間話す永町六区 笹目孝子〔評〕巡礼者の歌う和歌。そのお稽古が終ると四よ方も山やま話ばなしが延えんえん々と続くのだ。女性のおしゃべりは限るところを知らない。 ――――――◇――――◇――――――登り来こし満月の宵あかあかと波凪なぎわたる海うなも面を照らす五反田二班 勝山一美ぼくとわたしのちびっ子ギャラリー地曳網を体験しました!! ひじり保育園さくら組(年長児)(19) 広報おおあらい 2014. 6. 4