ブックタイトル広報つちうら 2014年6月上旬号 No.1124
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広報つちうら 2014年6月上旬号 No.1124
土浦町の商人色川三中・美年兄弟の日記「家事志」全26冊の解読と刊行が平成26年3月に完結しました。江戸時代後期の土浦の様子を生で知ることができる貴重な史料です。一日平均1796字、三中(1801~1855)が日記を始めた直後の文政9(1826)年5月から文政10年8月頃は原稿用紙4、5枚分を書いていました。当時三中は26、27歳で、「ものごとを細かに書き記すのは愚か者のすることだが、大小の116色いろかわ川三みなか中・美みとし年日記「家かじし事志」―全六巻の刊行出来事の記録こそが自分や家族のためになる(文政10年8月2日)」と、日記を「家事志」と命名しました。書く意義を高く掲げたわけですから、おのずと日記の文字数も多くなってしまうのでしょう。三中は別の記録文「古こ叙ぞ廼の布ふ留る道みち」で、「記録が確かならば事に迷わず、争うこともない」と書いています。また、「ものごとには必ず前兆がある、それを知って慎むべきだ(文政12年閏うるう3月25日)」と、過去を振り返り、未来を読み解く重要性を述べています。 三中は日記を書き続け、天保9(1838)年5月には14歳年下の弟美年(1814~1862)に執筆を譲りました。美年は兄の言いつけを守り、兄弟二人の日記は31年間に及ぶ大記録になりました。 主な登場人物は色川家の家族や親戚、奉公人や取引先、親しい土浦藩士や友人など260人にも及びます。冠婚葬祭、薬種業販路の拡大努力、城下町の事件、幕府の動きや土浦藩の藩政などだけでなく、江戸や大坂から書状や噂で入って来たさまざまな情報が書き留められています。破産状態だった色川家の経営が次第に上向き、三中が目指した日記の意義は家業の向上として現れていきました。 経営を建て直すため厳しい節約を家族に強い、学問にも厳格であった三中ですが、所々に人間らしいあたたかみを見せることがあります。文政11(1828)年8月27 日に娘が誕生すると、良い名を付けようと候補を7つも挙げて悩みました。父親として娘の幸せを名に託し、最終的に「論語」から引用して「有ゆ美み」を選んでいます。 「家事志」は、大部な記録を書き残す力量を土浦の商人が保持していたことを如実に物語っています。しかし、「家事志」が今日まで遺ったのは兄弟二人の力だけではありません。「家事志」全26冊は、色川家のご子孫が守り伝えてきました。明治・大正・昭和と時代が移り、日本は太平洋戦争を経験しました。先祖の日記を守るご苦労は、人も世も価値観もめまぐるしく変わるなか、なみなみならぬものだったでしょう。 また、博物館が刊行を完結するまでに十数年の年月がかかりました。市民のみなさんが刊行の価値を理解し、あたたかく見守ってくださったことも大きな力となりました。 「家事志」全六巻は博物館・市立図書館で閲覧することができますし、購入することもできます。(第一巻は完売) 市立博物館(?824・2928)問▲色川三中▲「家事志」全六巻15 広報つちうら 2014.6.3