ブックタイトル広報いしおか 2014年1月1日号 No.198
- ページ
- 4/24
このページは 広報いしおか 2014年1月1日号 No.198 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 広報いしおか 2014年1月1日号 No.198 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
広報いしおか 2014年1月1日号 No.198
常陸国風土記とは?常陸国風土記からみた石岡地方とは?常陸国風土記1300年記念イベント常世の国いしおか 昨年2013年は、713年に元明天皇により「風土記撰進の詔」が出されてから、1300年の節目の年でした。 かつて常陸国府や国分寺、国分尼寺などが置かれ、常陸国の中心地だった時代に書かれたのが「常陸国風土記」。これは、当時の豊かな自然や大地のめぐみなどを今に伝えてくれている書物です。この書物の「総記」(序 奈良時代、都から全国の地方機関が命じられて、その地方の地名の由来や古老の昔話などをまとめた文書が「風土記」です。風土記は、全国で作成されていたと考えられますが、現存するのは、出雲国(島根県)・播磨国(兵庫県)・肥前国(佐賀・長崎県)・豊後国(大分県)、そして常陸国(茨城県)の五つだけです。 都の地方支配を確立するために作成された文書ですが、いまでは、奈良時代の風俗を知る貴重な資料です。 郡より西南に近く河か間わ有。信し づく筑の川と謂ふ。源は筑波の山より出で、西より東に流れ、郡の中を経へめぐり歴て、高浜の海に入る。(『常陸国風土記』茨城郡の条、原漢文) 筑波山は、郡内を流れる信筑川(現在の恋瀬川)の源とも考えられていました。また高浜から望む霞ヶ浦では、花咲く春と木の葉が色づく秋は高浜の入り江に舟を浮かべて遊び、夏の夕方には涼を求めて多くの人が浜に集ったといいます。 高浜や筑波山は、風土記の時代から人々に親しまれていた景観でした。今から7 千5 百万年前に地下深くのマグマから生まれ、氷河の時代を経て地表ともども削られ作られた筑波山の地層を知る砂絵アート体験広報いしおか1月1日号 №198 411月13日?24日16 日・17 日堀部 猛先生による「古代常陸国と風土記」、久信田 喜一先生による「『常陸国風土記』から見た石岡地方」の講演を行いました大地のめぐみ魅せる技豊かな食24 日市内飲食店による古代茶や古代米など風土記の時代に関連した食べ物のブース常陸風土記の丘の展示室で行われたパネル展13 日~ 24 日in常陸風土記の丘