ブックタイトル広報 稲敷 2014年6月号 No.111
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広報 稲敷 2014年6月号 No.111
広報稲敷 平成26年 6月号 26ふるさと探訪 第93号 三枚の古城図① ●市郷土資料調査委員・平田満男稲敷市歴史民俗資料館の第一展示室のケース内に三枚の古城図が展示されています。みなさん、その三枚の古城図をご覧になったことはありますか。 いずれも稲敷市内にかつて存在した古城の縄張図(配置図)で、古城の全体像を知る手がかりとなる貴重な情報を教えてくれるものです。 この三枚の古城図とほぼ同じものが広島市立中央図書館の浅野文庫と国立史料館の「城築規範」の中に残されており、江から戦国領主となった一族です。 豊臣秀吉による天正一八年(一五九〇)の関東平定の時まで、常陸の守護であり、戦国大名となった佐竹氏が、自分の直接支配下にできなかった土岐原氏領国(稲敷地方)の中心地であったのが江戸崎城でした。それゆえにこそ、その後の城主に、関ヶ原合戦までの十数年間、佐竹義宣実弟の芦名盛重が入りました。芦名氏の秋田(角館)への移封後、慶長七年(一六〇二)松平信一・信吉父子が佐竹氏にそなえて江戸崎城番を勤めたのを最後に廃城となりました。 (つづく)●歴史民俗資料館 ?0299?79?3211所蔵の図面とほぼ同じなので、見覚えがあるという方も多いと思います。 現在の江戸崎小学校に隣接する「城山」を中心に、図中の大念寺、不動院、観貞院(管天寺)は、現在の位置と変わりません。右方の川は小野川、左方の堀は花指川あるいは犬塚川に名残りをとどめ、上方の堀は自然地形を利用した空堀と推測され、江戸崎総合高校演習地や江戸崎中学校裏山とバイパス道路との間の谷津・窪地に相当すると思われます。 江戸崎城主は、美濃国(岐阜県)を本拠地とした清和源氏の土岐氏の一族、土岐原氏であり、南北朝時代の末期から戦国時代末期まで7代にわたり稲敷地方を支配下においた南常陸を代表する国人領主戸崎城、浮島城はさらに西尾市立図書館の岩瀬文庫の中にも残されております。そして、その作成目的は、江戸時代の大名達が、いざ合戦の時に備えて歴史上の合戦記を参考に、古城図をひろげて、城攻めの机上演習を行った軍学研究のためと考えられております。①江戸崎城図これは平成五年刊行の『江戸崎町史』で紹介された広島市立中央図書館浅野文庫△現在の地図△明治14年の地図△江戸崎城図