ブックタイトル桜川市勢要覧2014
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桜川市勢要覧2014
もくぞうこくうぞうぼさつざぞう木造虚空蔵菩薩坐像【県指定文化財彫刻】指定年月日所在地管理者制作時期平成元年1月25日桜川市真壁町田913山口地区平安時代後期県指定文化財国指定文化財猿住山真福寺伝来の仏像。廃寺跡の堂内に安置される本像は、像高96.5cmの等身大座像で、桧材の一木で造られています。像容全体に平安時代後期特有の温雅な作風がみられ、二重円光ともども県内における平安時代屈指の佳作です。せきぞうしょうこうじたほうとう石造祥光寺多宝塔【県指定文化財建造物】指定年月日所在地管理者制作時期昭和35年3月28日桜川市本木78祥光寺1202(建仁2)年凝灰岩製。全国で在銘最古の石造多宝塔です。もくぞうしてんのうりゅうぞう木造四天王立像ほか7躯【県指定文化財彫刻】指定年月日所在地管理者制作時期平成21年11月19日桜川市本郷13妙法寺平安時代末期中心部をケヤキの一木造、背割りの技法を使った仏像で、古代の仏像特有の美しい造型をもちます。9世紀に焼失した新治廃寺を引き継ぐ役割を持った仏像と推測され、大きな価値があります。やくおういんさんじゅうのとう薬王院三重塔【県指定文化財建造物】指定年月日所在地管理者制作時期昭和30年6月25日桜川市真壁町椎尾3178薬王院1704(宝永元)年椎尾山薬王院は標高200mの椎尾山中にあり、782(延暦元)年、最仙上人による開山と伝える古刹。三重塔は桜井瀬左衛門による端麗な姿で、塔高25m、椎尾山のシンボルとなっています。塔の全面に施された彫刻は初重連子窓部に島村圓鉄作と伝える十六羅漢の彫刻をはじめ、尾垂木の丸彫龍など、江戸時代特有の装飾建築様式を示しています。まかべしるいだいぼちおよ真壁氏累代墓地及び墓碑群【県指定文化財史跡】指定年月日所在地管理者制作時期しほんちゃくしょくでんまかべどうむぞう紙本著色伝真壁道無像【県指定文化財絵画】指定年月日所在地管理者制作時期領主真壁家に伝来した資料のうち、戦国時代の当主真壁久幹(道無)を描いたものと推定されています。物語性を強く表した像容や地方色豊かな技法は、近在の小田氏の肖像画と共通のものです。ぼ昭和46年12月2日桜川市真壁町山尾525-1桜川市中世平成11年11月25日桜川市真壁町真壁198桜川市戦国時代末期ひぐん真壁氏の氏寺と伝える遍照院正得寺の境内には、40基の五輪塔群があります。銘文などは読みとれませんが、真壁氏の墓碑群と推定されています。まかべながおかこうだもんじょ真壁長岡古宇田文書【県指定文化財古文書】指定年月日所在地管理者平成11年11月25日桜川市真壁町真壁198桜川市真壁家の庶子として活躍した長岡家の、南北朝時代を中心とした35点の古文書。合戦の様子や所領をめぐる武士や一族内部の争いなどが具体的に分かる貴重な資料群です。まかべじょうあと跡【国指定史跡】真壁城指定年月日所在地管理者制作時期平成6年10月28日桜川市真壁町古城・山尾桜川市平安時代末期中世この地域を治めた真壁氏の居城。筑波山系から西へ伸びる尾根上の微高地を利用して造られた平城形式の城跡で、国指定面積は12.5ヘクタールに及んでいます。本丸を中心に巡らした四重の堀と土塁、土橋などが良好な状態で残され、中世城郭の構造を知る上で貴重な城跡です。現在発掘調査と史跡公園整備事業が進められています。おやまじさんじゅうのとう小山寺三重塔【国指定文化財建造物】指定年月日所在地管理者制作時期もくぞうかんぜおんぼさつりゅうぞう(つけたりぜんりゅうそん)木造観世音菩薩立像(附前立尊)【国指定文化財彫刻】指定年月日所在地管理者制作時期明治39年4月14日桜川市富谷2190小山寺1465(寛正6)年小山寺は735(天平7)年、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願により、行基を開基として創立されたと伝えられています。この三重塔は相輪の銘によると、1465(寛正6)年、多賀谷朝経が大旦那となり、大工宗阿弥家吉とその息子によって建立されたものです。その塔の様式はほぼ和様からなり、細部に禅宗様を混じえています。関東以北で室町時代にさかのぼる塔は、この塔と栃木県益子町の西明寺三重塔の2基だけです。明治44年8月9日桜川市本木1楽法寺本尊平安時代(9世紀後半~末ごろ)前立尊鎌倉時代後半本尊は八臂の観音菩薩立像で、針葉樹材を用いた一木造りの像です。その簡古な構造に加えて翻波をまじえた衣褶のしのぎたった彫法は、いわゆる平安初期一木彫像の風にならうものですが、肉取りや衣文の彫り口は、時代特有の力強さとは異なっています。また、天衣や裳の縁にうねうねとした翻りや立ち上がりなど、一種の地方作風ともいうべき特徴があります。寺伝では本像を延命観音と伝えますが、不空羂索観音とみる説もあります。Sakuragawa Heritage桜川遺産うえのはらかわらかまあと上野原瓦窯跡【国指定史跡】指定年月日所在地管理者制作時期昭和17年7月21日桜川市上野原地新田312-3桜川市奈良時代?平安時代あじろおい網代笈指定年月日所在地管理者制作時期【国指定文化財工芸品】昭和32年2月19日桜川市西小塙1677月山寺室町時代箱型に三脚をつけた笈で、正面を三段に区切り、各段に銅製メッキの牒番による観音開きの扉を設け、中央に一本の帖木を嵌めています。枠木や帖木は桑材に黒漆を施しています。扉には粗い布を貼り朱漆を塗り、そのうえに花形をかたどった皮製の文様を貼り黒漆を施しています。上段および下框に金銅菊座楕円形紐通し金物をつけ、左右には鉄製提鐶をつけています。帖木の裏に、武蔵坊弁慶の墨書名がかすかに残っていますが、様式、技法からみて年代は下るものです。時を超えて受け継がれる豊かな文化の礎いしずえもくぞうごだいりきぼさつぞう木造五大力菩薩像5躯【県指定文化財彫刻】指定年月日所在地管理者制作時期平成25年1月24日桜川市池亀394吉祥院平安時代末期五大力菩薩像の彫刻として、平安時代に制作された5躯がすべて揃って現存するものは、全国的にみて本像が唯一と考えられ、仏教史や仏教美術史上、非常に貴重なものです。五大力菩薩は、奈良仏教の鎮護国家の思想と関係が深く、仏教を敬う国王に対して使わされ強大な力でその国を護るとされています。全国的にみて希有な尊種です。怨敵調伏を願って造像されることがあり、地元では平将門の伝説と結びついて、将門を調伏するために造像されたと伝えられてきました。現在は月山寺美術館で展示されています。桜川(サクラ)【国指定名勝】指定年月日所在地管理者大正13年12月9日桜川市磯部135ほか桜川市磯部稲村神社の参道をはさんで、両側約1kmに及んで桜の並木があります。古来磯部の百色桜として桜の名勝となり、その名声は吉野に次ぐものでした。東北産の品種シロヤマザクラを中心として、花の色、香りなどに富み、学術的に貴重な存在です。桜川のサクラ【国指定天然記念物】指定年月日所在地管理者昭和49年7月16日桜川市磯部135ほか桜川市磯部稲村神社参道の両側約1kmのほか、市有地5,514.05m2内の桜、シロヤマザクラの群この瓦窯跡は新治廃寺の瓦を焼いた窯と推測されるもので、新治廃寺の東方約1km、上野原の地にあります。遺構は地中に保存されており、現在は草地・雑木林となっています。