ブックタイトル桜川市勢要覧2014
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桜川市勢要覧2014
べてが時代劇です。初舞台の後も数作を上演し好評でしたが、同時に、このままでは高齢者向けの劇団になってしまうという危機感もありました。より広く社会の役に立つ劇団になるにはどうすればよいのかを考えた天賀谷さんは、試行錯誤の末に、時事性のある事件を時代劇風にアレンジするという、現在の作風を生み出したのです。最近は防犯関係団体などの依頼により、県内各地で悪質商法や振り込め詐欺などの被害防止を目的にした、時代劇風の防犯寸劇を上演しています。脚本はすべて天賀谷さんのオリジナルで、これまでに書いたものは10作品。現在も2本同時に書いているそうです。防犯寸劇を書くようになったきっかけは「大好きいばらき県民会議」からの依頼で、5年ほど前に水戸市の常陽藝文センターで上演したことを受け、「文化芸術祭」や、全国の「大和」と名がつく市町村で構成される「大和サミット」などに出演。徐々に全国規模で加波山囃子保存会の名が知られるようになっていきました。それらの業績により、昭和57年に「心を合わせて豊かな郷土づくりに積極的な努力をした」として茨城県知事より「ばら賞」を受賞。昭和60年には茨城県より旧大和村を通して要請を受け、「つくば万博」いばらきパビリオンのお祭り広場に出演することもできました。平成14年には「加波山囃子保存会子供連」を発足。子どもたちにも親しみやすい会にしようと、伝承されている古典の楽曲に加え、外部から講師を招いて、「韋い駄だ天てん」「大和―紅空」「はなびHana-bi」といった新作のお囃子も積極的に取り入れていきました。今では子供連の会員数に始まります。その後も、県の防犯シナリオのコンペで、連続して採用されました。この関係で年に10回は県内各地に防犯寸劇の上演に出かけていくので、ほかの依頼が受けられないのが悩みだとか。現在の団員数は25人で、年齢は50歳代から70歳代。脚本と演出を担当する天賀谷さん以外は、役者とスタッフを兼務することも多いそうです。岩瀬中央公民館が稽古場で、大道具は基本的に自分たちの手作り。上演中のセリフや音響効果はすべて事前に録音しておき、上演時の役者や裏方の負担を軽減するようにしています。このような時に使う機材や道具も劇団にはありませんので、団員が仕事や趣味で使っているものを借りています。「一番苦労するのは人の問題ですね。」と、天賀谷さんは言います。「事情はいろいろあると思いますが、役者に突然退団されてしまうと、代わりは急には見つかりません。かといって、団員数を増やしすぎても、仕事や役の回ってこない人だけが増えてしまいます。適正な人数を維持していくことが必要なんです。」。一方、劇団をやっていて嬉しいのは、観客の方の拍手とのこと。「温かい拍手は、何よりのご褒美です。こうして皆さんに評価してもらえるようになってきた劇団を、自分たちの後も続けられるようにしたいですね。そして、いつか地元の偉人をモデルにした時代劇を上演したいと思っています。」と、天賀谷さんは熱く語ってくれました。は30人余りにまで増え、すっかり地域に定着しています。地元地区のお祭りはもちろん、農協祭、市民文化祭、子供芸術祭など、市内外の数多くのイベントに出演しています。「子供連は小学生が中心ですが、中学・高校生になっても来てくれる子たちがいるのが嬉しいですね。大人になってもお囃子を続けて、次の世代に伝えていってほしいと思います。形だけの伝統というのでは、いつか廃れてしまいます。若い世代が参加して、生きた文化として観客に感動を与えていくことが大切なんです。それが結果的に子どもたちの健全育成、地域の活性化にもつながっていくと思います。」と津下さんは言います。創設者である笠倉さんは、そ長年勤めていた会社を定年退職し、時間に余裕のできた平成19年の12月、友人との会話の中から「劇団どてかぼちゃ」は誕生しました。合併後の市民の連帯感と、中高年の生き甲斐を作ることが主な目的でした。下手でも許してもらえるのではということで、「どてかぼちゃ」と命名。電気の技術者だった天賀谷正さんは、本格的に芝居をした?テケテンテンテケーンテンテケテン加波山の麓ふもにとある桜川市大曽根地区(旧大和村)に昔ながらのお囃子の音が響き渡ります。加波山囃子保存会による週一回の練習の音です。大曽根地区では、古来より雷神社の夏祭りに五穀豊穣・無病息災・家内安全を祈願して、大太鼓、小太鼓、笛、鉦かねの演奏による加波山囃子が伝承されてきました。しかし、第2次世界大戦の影響で、その伝統がしばらくの間途絶えてしまったのです。保存会の創設者で前会長の経験はありませんでしたが、会社で老人ホームに慰問に行った際には、まとめ役を務めていたそうです。高校生の頃は文章を書くのが好きで、物語を書くことにも興味があったと天賀谷さん。定年後に時代劇映画を作ろうとして、「人にんじょうさくらじゅく情桜宿」という脚本を書いたそうです。その時は、予算の関係で映画作成は断念。しかし、少部数だけ印刷して配っていたシナリオが、ある病院関係者の目にとまり、講演会の時に上演してもらえないかという依頼が舞い込んできました。あわてて人集めをして、40~50分の劇に再構成。こんな調子で素人同然の人間が演じたわけですから、上手くできなくても仕方なかったのですが、ユーモアと人情にあふれた物語が好評だったこともあり、劇団存続につながっていったそうです。このときに評判が悪かったら、おそらく劇団はなくなっていたでしょうねと天賀谷さんは当時を振り返ります。劇団どてかぼちゃの演目はす笠かさ倉くら義よし貞さださんは、このままでは地元の大切な文化が消えてしまうという強い危機感を抱き、演奏するための和太鼓の調達や、地域の有力者への財政的な支援要請、演奏経験者への保存会加入の説得に奔走しました。その甲斐あって昭和55年に、加波山囃子保存会を20人で結成。加波山囃子を復活させることができたのです。結成後は、新規加入の促進に努めながら、週一回の練習を続けました。そうした地道な活動が最初に実を結んだのが、結成1年後に出場した「関東芸能お囃子コンクール」でした。見事大会会長賞を受賞したのです。「まだ世間での認知度が低く、お囃子を披露できる場所を模索していたこの時期、会員にとって大きな励みになりました。」と、現会長の津下昇さんは当時を振り返ります。この受賞が評判を呼んで、練習の合間に公営の福祉センターで演奏を披露する機会をもてるようになりました。その後、当時の村長から依頼県内各地で上演している防犯寸劇。悪質商法や振り込め詐欺の手口を分かりやすく伝えています。Profile昭和16年桜川市生まれ。定年退職後、平成19年に時代劇を専門の「劇団どてかぼちゃ」を設立。県内外で年に10回ほど防犯寸劇を上演するほか、様々なイベントで舞台に立っています。Profile昭和25年桜川市生まれ。津下電気工事店経営。平成23年に、創設者の笠倉義貞さんの後を継いで加波山囃子保存会の3代目会長に就任し、勢力的に活動しています。ユーモアと人情にあふれる市民劇団座長天あま賀が谷や正しょうさん劇団どてかぼちゃ「報徳サミット」で二宮尊徳の物語を上演様々な職業の市民が参加しています。子どもたちから寄せ書きを贈られた笠倉さん(中央)加波山囃子は地域のお祭りに欠かせない存在技わざ人びと6File受け継がれる伝統文化会長津つ下げ昇のぼるさん加波山囃ばやし子保存会技わざ人びと7Fileれまでの功績が認められ、平成24年に「地域伝統文化功労者表彰」を受賞しました。それを祝って子どもたちから寄せ書きが贈られた際、笠倉さんはこう答えたそうです。「集落のみんなが協力してくれるから続けられる。これは本当は私でなく、君たちがもらうべき賞だ。」と。今日も大曽根地区に和太鼓と子どもたちの元気な笑い声が響きます。笠倉さんの結成した保存会は、お囃子の音色だけでなく、世代間のつながりや郷土を愛する心も受け継いでいくことでしょう。真壁伝承館で開催された「第5回伝統民俗芸能のつどい」のステージで腕前を披露する子どもたちSakuragawa City Guide 201419 Sakuragawa City Guide 2014 18育成未来へ奏でる育みの交響曲