ブックタイトル広報 稲敷 2014年4月号 No.109

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概要

広報 稲敷 2014年4月号 No.109

広報稲敷平成26年4月号26ふるさと探訪第九一号「長年人々に愛された神屋の台地神かみや屋遺跡」●茨城県教育財団次席調査員・齋藤和浩先月号に続き、稲敷市清水に所在する神屋遺跡を紹介します。前回は発掘調査に至る経けいい緯や遺跡の概要についてふれましたが、今回は、調査によって確認できた遺構や遺物の特徴について紹介していきます。神屋遺跡では、当時の人々の住まいと考えられる竪たてあなたてものあと穴建物跡が一三三棟、倉庫と考えられる掘ほったてばしらたてものあと立柱建物跡が一一棟確認できました。古墳時代後期から平安時代前期の約三〇〇年の間に断続的に住居が営まれており、同じ地に時代を経ても集落を形成していることから、神屋の台地が生活に適した土地であったことがうかがえます。また、各時代ごとの竪穴建物跡をみると、規模が大きいものや他地域からの搬入品(当時の高級品)が出土する建物跡が見られ、集落内におけるリーダー的役割を果した人々の存在がうかがえます。その他、特徴ある遺構としては、四基確認された大型円形土坑(平安時代前期)があげられます。四基とも形状が似ており、直径約四mの楕円形で、深さ一・五m程まで円筒状に掘り込まれています。炭持していたことも考えられます。その他に、四九三点の土玉や三八点の管かんじょうどすい状土錘が出土しており、耕作、布の生産の他に漁労も生業の一つであったことがわかりました。二年にわたる調査の結果、古代「稲敷」の様相が少しずつ明らかになってきました。長い年月にわたり人々に愛された「神屋の台地」の様相を後世に伝えていきたいと思います。●歴史民俗資料館?0299?79?3211化した米の他に、第一号土坑からは人面が墨すみがき描された土はじき師器の鉢、第二号土坑からは須すえき恵器の大おおがめ甕、第三号土坑からは獣骨、第四号土坑からは火ひのし熨斗が出土しました。これらは、覆ふくど土の中層から下層にかけてまとまって出土しており、大型円形土坑が本来の役割を終えた時に一緒に投棄されたと考えられます。大形円形土坑は、貯ちょぞうこ蔵庫や祭さいしば祀場等様々な機能が想定されますが、現時点では明確にすることはできず、今後の研究課題となります。神屋遺跡で出土した遺物からは、当時の人々の生活を垣間見ることができます。火熨斗(布の皺しわを伸ばすための道具、古代のアイロン)や円えんめんけん面硯、刀とうす子、多くの墨ぼくしょどき書土器が出土していることから、この地に役人などの知識階級が存在していたことが想定できます。また、土製・石製・鉄製合わせて一五点出土した紡ぼうすいしゃ錘車や火熨斗の出土からは、布の生産に深く携わっていた集落であることがうかがえます。「大おおとじ刀自」と刻こくしょ書された紡錘車は、朱が塗られ、黒色処理が施されています。実用というよりも威いしんざい信財の意味合いが強く、布の生産に指導的役割をもった人物が所△遺跡全景△大型円形土坑遺物出土状況△出土した土玉、管状土錘