ブックタイトル広報 稲敷 2014年3月号 No.108
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広報 稲敷 2014年3月号 No.108
広報稲敷平成26年3月号26ふるさと探訪第九〇号「長年人々に愛された神屋の台地神かみや屋遺跡」●茨城県教育財団次席調査員・齋藤和浩稲敷市清水に所在する神屋遺跡は、一般国道四六八号首都圏中央連絡自動車道新設に伴い、平成二三年から二四年度にかけて発掘調査を行いました。ここでは、二年にわたる調査によって明らかになったことを二回に分けて紹介します。神屋遺跡は、稲敷市の中央部を流れる小野川右岸の神宮寺台地の南部に位置し、台地の南西部から樹じゅしじょう枝状に入り込んだ谷や津つに挟はさまれた標高約二七mの台地縁えんぺんぶ辺部に立地しています。遺跡の所在する地域の自然環境は、台地、低地、河川、湖こしょう沼と変化に富んでおり、旧きゅうせっき石器時代から近世までの多くの遺跡が確認されています。なかでも、薬やくしうしろ師後遺跡や幸田台遺跡は、古墳時代から平安時代にかけての大規模な集落跡であり、役やくしょ所的な様ようそう相が読み取れます。それらの遺跡を支える一つの集落として神屋遺跡が存在していた可能性が考えられます。神屋遺跡で確認された遺いこう構は、当時の人々の住まいと考えられる竪たてあなたてものあと穴建物跡一三三棟(縄文時代二、古墳時代五四、奈良時代二二、平安時代五四、不明一)、倉庫的な役割が考えられる掘ほったてばしらたてものあと立柱建物跡一一棟(奈良時代三、平安時代五、不明三)をはじめ、陥おとし穴(縄文時代)、大形円形土どこう坑(平安時代)、地ちてんかいづか点貝塚(平安時代)、地ちかしきこう下式坑(中世)、道どうろあと路跡(近世)など多た岐きにわたり、縄文時代から近世までの複ふくごういせき合遺跡であることがわかりました。縄文時代には狩しゅりょうば猟場として、古墳時代中期から平安時代には居住地として台地を利用していました。遺いぶつ物はコンテナ約二八〇箱にのぼり、土はじき師器や須すえき恵器を中心に大量に出土しました。日常の食事で使用された坏つきや皿さら、祭さいしぐ祀具と考えられる高たかつき坏や坩かん、煮に炊たき・貯ちょぞうよう蔵用の甕かめや甑こしきなどの土器の他に、漁ぎょろう労に使用したと考えられる土どだま玉や管かんじょうどすい状土錘(土製品)、糸を紡つむぐための紡ぼうすいしゃ錘車(土・石製品)、農作業のための鎌(鉄製)などがあり、神屋の台地で暮らした当時の人々の生活を垣かいまみ間見ることができます。また、平安時代のものとして県内で初めての出土となる火ひのし熨斗(古代のアイロン)は、ほぼ完全な状態の優品です。地域に残る「桑山」の地名や火熨斗、多数の紡錘車の出土等から、神屋の集落は、奈良・平安時代に調ちょうや庸ようなどの税として納めた布の生産に深く関わっていた可能性があります。確認した掘立柱建物跡や大形円形土坑との関連付けが今後の課題となるでしょう。次回は、大形円形土坑や「西居」「田」と書かれた墨ぼくしょどき書土器、「大おおとじ刀自」と刻書された紡錘車など特徴ある遺構、遺物についてご紹介します。●歴史民俗資料館?0299?79?3211?火熨斗(ひのし)?神谷遺跡全景(東より)?神谷遺跡遠景