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概要

歴史館だより No.108

第2章北畠親房と常陸合戦建武の新政は,北条氏に領地を奪われた常陸の武士の期待を裏切り,領地は自分たちに還らず,足利尊氏のものになっていきます。しかし,その尊氏の政権離反は武士たちにとって,領地奪還の好機であり,その状況下にやってきたのが北畠親房でした。親房に味方することで領地を戻そうとする武士たち,それを押さえる尊氏,その動乱のなかで親房は『神皇正統記』を著しました。常陸の武士たち,足利尊氏,そして北畠親房,それぞれの立場から,南北朝の動乱のなかでも,全国的に最も激しかった常陸合戦の様相をみていきます。六地蔵寺本『神皇正統記』茨城県指定文化財北畠親房像当館水戸市・六地蔵寺第3章武の装い一般に目にする機会の多い甲冑は,ほとんどが当世具足と呼ばれ,戦国時代の終わり頃から江戸時代にかけて作られたモノです。それ以前の南北朝から室町時代にかけては、大鎧の重厚さから解放された,腹巻・胴丸などが使われました。それは個性では当世具足に及ばないものの,戦場を駆け巡るのに適したものでした。また,長い刀身の薙刀,あるいは元幅の広い太刀などがあらわれるなど,刀剣類も合戦の変化や耐久性を考慮したモノが現れました。そうした動乱の時代の武の装いをみていきます。長巻常陸太田市指定文化財東金砂神社写真提供:常陸太田市教育委員会第4章100年早かった「戦国時代」関城・大宝城の陥落,北畠親房の吉野帰還によって常陸合戦は終焉しましたが,これは平和のおとずれを意味するものではありませんでした。以後は南朝対北朝から,足利氏対関東の豪族,鎌倉公方対関東管領など,次々と新たな対立構造が現れ,ついに,室町幕府の大軍が結城に攻め寄せる結城合戦に至る動乱の中世への幕開けにすぎませんでした。そのため,常陸・北下総の「戦国時代」は100年早かったともいえます。また,この動乱の中で,佐竹氏,結城氏が歴史の表舞台に登場する。このように果てしない動乱と政治勢力の変革など中世の転換点の様相をみていきます。2