ブックタイトル歴史館だより No.108
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歴史館だより No.108
「常陸南北朝史―そして、動乱の中世へ―」平成26年2月8日(土)~3月21日(金)中世日本の14世紀前半から15世紀前半は,まさに動乱の時代であり鎌倉幕府滅亡後の日本は,天皇家が南朝と北朝に分かれ,それが60年も続くという事態が起こりました。南北朝の動乱です。常陸国は,南朝・北朝勢力が入り乱れ,全国的にも激しい戦いが展開した地域です。なかでも,この動乱の最中,南朝の重鎮・北畠親房が常陸国に入り,小田城にて『神皇正統記』を著したことは全国的に有名であり,また,この動乱を契機に,佐竹氏,結城氏など,後の戦国時代に大きく発展する勢力が,歴史の表舞台に登場します。続いて,南北両朝の合一は成ったものの,関東の新たな統治機関となった鎌倉府の支配体制は,足利氏と関東の豪族,さらには鎌倉公方と関東管領の対立を生み,いやがうえにも常陸・北下総は動乱の舞台となりました。そして,その動乱の炎が消えないまま戦国時代に突入します。一方,この動乱のなかでも,宗教勢力,あるいは庶民の力は大きく伸びました。これまで,体制仏教であった天台宗・真言宗は,庶民を巻き込んで著しく発展し,また武士の気風に合った禅宗も社会に浸透していきます。さらに,霞ケ浦沿岸地域では,「海夫」「有徳人」などが交通,流通,金融などに携わり,また,北下総地域は関東と東北地方を結ぶ地域として陸運・水運ともに発達します。このように,激しい動乱にもめげす,人びとは活発に活動していたのでした。今回の特別展では,こうした中世の動乱の様相を明らかにしながら,新たに発展する宗教勢力,そして躍動する庶民の姿をとおして,中世茨城の真相に迫っていきます。第1章鎌倉幕府北条氏の盛衰南北朝の動乱の時代,常陸国は全国的にみても激しい戦いが展開した地域です。その大きな理由に,鎌倉時代後期から目立ってくる北条氏の常陸・北下総への進出があります。その様子を梵鐘を作った鋳物師たちの視点などから探っていきます。石岡市・東成井山ノ神遺跡出土沙弥善性作梵鐘千葉県指定文化財仏像鋳型千葉県成田市・宗吾霊堂石岡市教育委員会1