ブックタイトル茨城県近代美術館 美術館だより No.97
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茨城県近代美術館 美術館だより No.97
茨城県つくば美術館ギャラリーや美術館、県展が無かった時代を振り返る企画展「ようこそ、白牙会展へ―茨城洋画界の幕開け」を終えてつくば美術館では、今年度の企画展を「ようこそ、白牙会展へ―茨城洋画界の幕開け」と題し、10月26日(土)から12月1日(日)までの5週間にわたり開催しました。本展は、今から約90年前の大正13(1924)年に結成された美術グループ「白牙会」の活動を紹介するものでした。白牙会は、茨城出身の三人の洋画家(菊池五郎、林正三、寺門幸蔵)が、茨城の洋画界を盛り上げるべく結成したものです。本展開催にあたり会の関係資料を調査したところ、終戦をはさむ約30年間に23回の展覧会を開催し、のべ500名以上が参加したことが明らかになりました。既に東京で活躍していた中村彝、辻永らが賛助出品したほか、帝展(現在の日展)や中央の公募展に出品していた作家たち、あるいは県内の学校に勤務していた美術教師や生徒など、未だ県主催の公募展が無かった時代において、制作に励む人々に貴重な発表の場を提供したことがうかがえます。当時はまた、美術館やギャラリーといった展覧会場も無く、すべてを会員達が手作りしました。仮の会場として水戸市内の商業会議所や公会堂などを借用し、木材や布を加工して組み立てた仮設壁を設営して作品を展示し、陳列順を考慮しながら目録を作成・印刷しました。会場内にはゴムの木やベゴニヤの鉢などを飾り、来場者を呼ぶために入場券に抽籤番号を入れるなどの工夫もこらしました。現在では全国各地に美術館が建てられ、盛んに美術展が開催されていますが、このような環境は少なくとも茨城県内においては、わずか100年の間に整えられたものでした。なかでも油絵や水彩画といったいわゆる「洋画」は、近代になって西洋から日本に伝わった絵画技法であり、江戸時代以前に一般の人が眼にすることは極めて稀でした。明治期に入り、まずは東京を中心に洋画を教える画塾や美術学校、展覧会や美術館など美術をめぐる諸制度が整備される中で、茨城をはじめ各地へと広がっていったのです。翻って現在の国内の状況をみてみると、学校教育で学ぶ機会の多いのは水彩画や油絵でしょう。そして価値観が多様化した現在において、技法や材質、作品発表の方法をはじめ「美術」の在り方も従来の枠に留まらず、新たな表現が次々と試みられています。美術は時代と共に変化を続けているのです。当時の展覧会場を再現したコーナー第4回白牙会展(1927年、県公会堂)会場写真写真提供:水戸市立博物館白牙会展で使用された水戸商業会議所外観を模した会場風景[茨城県つくば美術館学芸員吉田衣里]1923年に新築された菊池五郎のアトリエ水戸で最初の「洋画家のアトリエ」として新聞でも話題に(『いはらき』1923年12月9日)3