ブックタイトル広報みと 2014年2月15日号 No.1328
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広報みと 2014年2月15日号 No.1328
星のはなし第12回 冷え込みが厳しい季節だが、ときには充分に暖かい服装で、澄んだ冬の夜空を眺めよう。今なら、一晩中際立った輝きを放つ星が見つかるはずだ。太陽系最大の惑星、木星である。 現在、木星は、明るい星が多い冬の星座の中で一際輝いている。その姿は、ローマ神話の主神「ユピテル」にちなんだ「ジュピター」の名前にふさわしい。 木星に望遠鏡を向けると、まず目に留まるのが、木星本体の周囲に見える「ガリレオ衛星」の姿である。 ガリレオ衛星は、およそ400年前、ガリレオ・ガリレイによって発見された。当時、ガリレオが使った望遠鏡は、口径わずか数㎝、望遠倍率が10~20倍程度のもの。現代のものであれば、7倍程度の双眼鏡でもこの衛星たちの姿を見ることができる。ガリレオ衛星は公転周期が短く、めまぐるしく位置が変化するので、時間をおいて何度も眺めると面白い。 もう一つの見ものは、表面の縞しま模様。太い2本の縞は、小さな望遠鏡でも意外とよく見え、大きめの望遠鏡で、条件のよい日ならば、もっと細い筋があと数本見えることもある。 公共の大きな望遠鏡で詳しく見るのもよし、小さな望遠鏡でガリレオになった気分を味わうのもよし。この機会に、太陽系惑星兄弟で、最大の大きさを誇る「長兄」の姿をいろいろと楽しんでみよう。 市総合教育研究所 移動天文車指導員 中川 義通木星(2004年撮影)。本体の上に見える黒い点は、ガリレオ衛星の一つ「ガニメデ」の影 『水府鍼しんきゅう灸秘録』によれば、水戸藩において鍼灸を普及させた立役者は、義公徳川光圀です。民間薬の処方をまとめた『救民妙薬』を作らせたのと同様に、鍼灸についても、鍼医西村玄春を尾張から招き、光圀自ら治療を受け、藩内に広めました。これは後に西村流として伝えられ、その鍼灸の伝統を引継いだ一人が平方龍男です。 龍男は明治22年2月15日、水戸市に生まれました。3歳の時、転んだ拍子に手に持っていた串が目に刺さり失明。小学校高等科2年生の時には、野球のボールがぶつかって、もう一方の目も傷を負いました。小学校卒業後は14歳で、鍼の名人として名高かった久慈郡瀬谷村の村田という鍼師につき、鍼の修行を始めます。 明治38年16歳の春、龍男は東京帝国大学病院で、目の手術を受けましたが、そのかいなく、光を失いました。しかし、帰りの至誠の鍼しん技ぎ天に通ず平方 龍男 ひらかた たつお( 鍼はり師)平方龍男1889~1976年写真提供 (社会福祉法人 信愛福祉協会より)汽車の中で龍男は、自分のように不治の病を宣告された人の友となり、鍼でその病を治してあげようと決意したといいます。 明治43年龍男は、東京盲学校を卒業すると、故郷水戸で開業し、後に水戸の盲学校の教師となります。大正4年に誘われて東京の同愛訓盲院の教師となり、放課後は鍼の施療にも務め、慢性腎炎などの難しい病気にも効果をあげました。 盲学校退職後は再び開業し、研け ん鑚さんの結果、龍男の指先は敏感になって、皮膚の下で組織が病変を起こしていると、触れただけでそれを感じることができるようになったといいます。その成果を伝えるため、昭和27年に鍼治療の理論と実技を学ぶ鍼科学研究会を作り、点字雑誌『鍼の研究』を創刊し、後進の指導に力を尽くしました。 さらに、昭和29年には、柳田国男の勧めで、キリスト教の精神を基盤に置いて、視力に障害を持つ人たちの経済的・精神的自立を助けることを目的とした社会福祉法人信愛福祉協会を創設し、失明者更生施設「信愛ホーム」と点字出版の事業を開始しました。この事業は、今も龍男の遺志を継いで運営されています。 (坂部 豪)みとの水脈左…『新しいはりの話』 平方龍男著 信愛ホーム治療社右…『道ひとすじー昭和を生きた盲人たち』 あずさ書店第21回11 2014. 2. 15 広報みと